吉本興業の歴史その1

改めて吉本興業の歴史の本を読んでいます。
 現在はギャグで「うちらは松竹ですから」と、松竹芸人が吉本に対して卑下した言い方をしますが、昭和初期、吉本より松竹の方が会社として格上でした。
 また昭和20年代から30年代大活躍した柳家金語楼 伴淳三郎は東京の事務所所属の芸人と思い来や、実は東京吉本の所属の芸人でした。
 金語楼さんが超売れっ子だった頃、故桂歌丸さんのご両親が経営していた横浜の真金町にある女郎屋「富士楼」に車で訪れていたそうです

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