「もぐる」場所がない子供たち

川本三郎さんの「東京つれづれ草」という随筆を読んでいたら、足立区柳原商店街のことを描写していて、「・・・ここに来ると町を歩くというより、もぐりこむという感じがしてしまう・・」と書かれていました。
そういえば、「もぐりこむ」という感覚は確かに、子供の頃にいたるところで、体感していたような気がします。
子供は身の丈が低い分、いろんな狭い場所、低い場所に「もぐりこむ」ができました。
「鬼ごっこ」といのも「もぐりこむ」心地良さがありました。神社の社殿の床下にもぐるというのも、布団の下に、机の下に、学校のマットの下に押入れに「もぐりこむ」。
 瞬時の「もぐりこむ」ことで、魔法のように世界が変幻しました。
 「もぐりこむ」ことは決して、現実世界を俯瞰で見られないのですが、かすかな音の遮断と暗闇の中から、光を見出すわずかな時間はとても静かな時間でした。
 「かくれんぼ」などの遊びの最中にゆっくり、自分が生きている時間を冷静に「覗いて」いました。
 現在の東京の街にはなかなかそんな感覚を味あわせてもらえる場所がありません。
 今、街に「もぐる」場所があったら、少しは子供たちの苛立ちは休まるのかもしれません。