野茂、イチロー、松井選手。
アメリカン大リーグの日本人選手の活躍を昭和の時代に誰がここまで、予測していたのでしょうか?
僕のような昭和20年代後半の生まれの者はアメリカの大リーグやアメラグのニュースを劇場映画の前に映写される白黒の海外ニュースで小学生の頃に見た思い出があります。
これから100年の時を過ぎても、日本人選手はこんな巨大な連中とは戦えるわけがないと思いました。本当に、「海の向こうの話」でありました。
しかし、それから、半世紀も立たない間に野茂がアメリカン大リーグのマウンドにたってヒーローになっていました。
あの映画館のアメリカの映像はまるで、戦中の日本の戦機高揚のニュースと同じように「日本はアメリカに勝てるわけがない」という刷り込み効果があった気がします。
日本の海外で大活躍して選手の気持ちの共通点。
それは「悲壮感」です。
大リーガーだけでなく、オリンピック選手のマラソンの女子金メダリスト、陸上フィールド選手、水泳選手、ジャンプの選手、陸上フィールド選手、もちろん世界の王、そして、卓球の愛ちゃんはまるで「角兵衛獅子」の娘のような悲しみの表情を見せます
「スポーツは楽しまなければ」「アメリカ人の選手を見なさいよ、もっと楽しんでいるよ」
このようなスポーツの精神論が僕が子供頃から、巷のスポーツ関連記事に載り始めました。
確かに「スポーツは楽しむ」、楽観的に行うというのは総体としては賛成です。
しかし、「試合」は別です
この楽しみながらのプレイは西欧人にあっているのかもしれませんが、肉体的構造に
あまりに劣勢の東洋人「日本人のスポーツ選手」にこのことを当てても、無理があるような気がします。
日本人ゆえのがんばってこれた精神的支柱は「悲壮感」ではないでしょうか。
新城選手のようなスーパースターは別として(僕は彼が大好きです)身の丈に合わない方法論を日本人に当てはめても「他国に勝てるわけがないのです」
イチローが書いてました。
「大リーグで活躍してトップに立っても全然、うれしさが沸いてこなかった。あまりアメリカの選手は祝福してくれなかった。JAPANで世界一になったときに、どうだアメリカの野球で日本が勝ったんだ!」というような内容で誇らしく思ったと書いてました。
あのスタイリッシュなイチローでさえ、こんな悲壮感を抱えて、アメリカで戦っているのだ驚きました。
日本人の「悲壮感」はパワーです