寝転んで見た古今亭志ん朝さん

この座布団にすわっていたのは天才古今亭志ん朝さん。
そして、写っているのは僕の手です。
まるで、チィニーズシアターに手形でもつけるようなつもりで、古今亭志ん朝さんのすわっていた座布団に手をあてて、自分で写真を昨日、撮影しました。なんとありがたいことか!
僕が70年代中期、大学生の頃です。
古今亭志ん朝のファンの皆さん、古今亭志ん朝さんの前で、僕は寝転んで、古今亭志ん朝さんの落語を鑑賞した大バカものであることを、まずは謝らせてください。
円生さんにのめり込んで、それでいて、大して、全体的に落語のことを知らない僕は、当時は池袋演芸場には畳があったので、寝転んで古今亭志ん朝さんの落語を聞いていたのです。その距離は生の古今亭志ん朝さん、3メントールも離れてなかったと、思います。もちろん、古今亭志ん朝さんはトリです。テレビのNHKのドラマでしか、古今亭志ん朝さんを見たことがない僕は、この噺家が不世出の噺家であるなんて、まったく知らず、そんな行儀の悪さで見ていたのです。しかし、5分も立たないうちに、僕の上体は起きていて、しまいには正座をして聞いていました。本当に無知は罪です。
襟を正す芸です
それから、時を経て、2006年10月29日、母校法政大学のボアソナードタワーで、主催された僕もOBの法政大学落語研究会のOB会。来年は我がクラブは創立55周年。大学出でおそらく最初に噺家さんになられたOBの金原亭伯楽さんらが一席、その時、使用したのがこの座布団。ずっと、大切に保管されていた古今亭志ん朝さんしか、使用されなかった貴重な座布団。
現在、川崎サンピアンの運営を担当しておられるOBの足立さんが川崎サンピアンから、持ってこられた座布団。古今亭志ん朝さんは、当時、独演会といえば、東京は三百人劇場、多い人数で落語をやるのを嫌った古今亭志ん朝さんの美意識。席亭とのご縁もあって、名古屋の大須演芸場でも、平成二年から毎年十月か十一月の三日間、名古屋市民芸術祭協賛の名で古今亭志ん朝三夜連続独演会を行っている。そして、初めて今回知ったのが、なんと川崎シャンピアンで、計14回古今亭志ん朝さんは独演会を開いていたことだった。まだまだ、勉強不足の古今亭志ん朝好きの僕。
その時、使用していたのが、この座布団。川崎シャンピアンでは桂枝雀さんも独演会を開いていたが、そのとき、この座布団は使用されなかったという。興行の方の古今亭志ん朝さんへの思い入れなのか?
今やipodで古今亭志ん朝さんの落語を連日、ここ何年も聞いて、いまさら、古今亭志ん朝のようにしゃべられないものか?(笑)と、子供が野球選手に憧れるようにリスニングの100本ノック。
あああ、古今亭志ん朝さんを生きているうちにもっと、追っかけたかった。本当に寝転んで、古今亭志ん朝さんを見たなんて、紀伊国屋文左衛門もできないような贅沢をしてしまった
古今亭志ん朝さんに、弟のように可愛がってもらったという金原亭伯楽さん。来年は小説版「古今亭志ん朝」というようなものを出版される。