古今亭志ん生と佐藤浩一さん

三月29日
代官山のライブハウスでブラザートムちやんの
落語を聴きにいってきた。
今年の正月にテレビ東京で、新作落語の落語番組をタレントさんで僕はやった。
中でも、落語に本寸法でなっていたのが、なぎら健壱さんとブラザートム
この二人は独演会を開けるだけの力量がある。
トムちゃんは初挑戦だったが、僕が番組のネタのゴーストライター
やっていた日本テレビの「お笑いスター誕生」でのトムちゃんの警官コントは一人コント。
きっちり、本人がネタを書いていた。
立ってやる、いわば落語だったわけで、今回も落語を作るのにそうは苦労しなかった。
本人が落語を初めて見たのが、中学生の頃、上野の寄席で見たというから、
素養はあったわけだ。
トムちゃんのあの特有の妙に長い間に味わいと、おかしみがあり、
是非、落語の舞台に立っていただきたいもので、なぎらさんと
共に、二人会も夢ではない。
僕は持参した古今亭志ん生の「風呂敷」の映像をライブを終わったあと、
店のスクリーンに流しながら打ち上げ。
相変わらず、いぶし銀の俳優原田芳雄さんと、僕が大好きな俳優佐藤浩一さんと一緒に
古今亭志ん生を鑑賞するという粋な、摩訶不思議な打ち上げとなった。
特に原田芳雄さんは年齢的に生の志ん生を見ているので結構詳しいのだ。
まさか、ハードボイルドな原田芳雄さんと志ん生談義をするとは思わなかった。
しかし、志ん生はなんて、可愛いのか!声が可愛い!
年輩の人を見て、可愛いはないだろうと思うが、可愛いのだ。
NHKのスタジオの当時の客席で笑っているのは20代の若者たちである。
演者は60過ぎのじじいである
どうして、日本人は若い演者のネタでしか笑わなくなったのだろう。
時代の「笑い」というのがあることはわかる。それは若手が作るというのももっともだ。
そうはいっても、「老年の演者」が何故、若い演者と共存できなくなってしまったのか?
「お年寄りに受ける老年の芸人だっていますよ」
と、反論する人がいるだろう。
僕の言っているのは若者にだってきっちり受ける老年の芸人がいつから姿を消したか?
音楽の世界は違う
 サザンの桑田くんは50歳超えている。ユーミンはもうすぐ53歳。小田和正さんは60近い。音楽の世界ではきっちり、若者に受けている熟年が存在している。
 なのに何故か、笑いの世界はいつも「真新しいTシャツ」の笑いだけが若者に求められるている。
  
昭和30年代であろう、
古今亭志ん生の映像は確かに、若者の客が爺の芸人を拍手喝采しているのを記録している。
志ん生は若者に包まれている。
おもしろいものはおもしろいのだ。
その昔、僕はコント赤信号の師匠で、すでに爺さんの杉兵助師匠を
テレビに引っ張り出した。渋谷の道頓堀劇場のストリップ小屋で
コントをやり、赤信号に稽古を付けていた方だ。
うれいしことに杉師匠は、ブレークした。
おもしろいものはおもしろいのだ。
どうして、おもしろいものを素直におもしろいと感じられないのか?
しわくちゃなTシャツでもいいではないか?
お笑いのことをとっても最近の若者の年寄り排除の傾向を感じてしまう。
僕は小さい頃から何故か年寄りが好きだった。
暇さえあれば、知らない爺さん婆さんに話しかける妙な子供で
あった。
大学時代も落語でボランティアで老人ホーム周りをしていた。
演じたあと、お年寄りと話すのが決して嫌いではなかった。
無理やり分析してみる。
自分は意外と子供好きである。
年寄りは老いるごとに子供に近づいていく。
その仕草、言動、声がどんどん、子供に近づいていく。
だから、僕は年寄りが好きなんだ。
老いた志ん生は子供の中の子供だ。