永遠の甲子園球児ローリングストーンズ

 考えてみてください。
 高校野球春夏連覇校のチームが60歳過ぎるまで、同じメンバーで
やり続けるなんて100%ありえないことだと思います。
 それは肉体的可能、不可能を言っているのではなく、いかに感動を分かち合い、栄光を手にした仲間たちでも、同じ舞台を踏み続けることは時には苦痛であり、時には倦怠であるのだと思います
 
 それが、どうでしょう?
 ローリングストーンズって、ロニーウッド以外、ミック、キース、ブライアンジョーンズは同じメンバーで、1964年からずっと、甲子園球児を続けているようなものなのです。
 それはまあ、太陽の下のタイプの青春ではないかもしれませんが、彼らのイメージに最も似合わない「青春」を実は走り続けてきたのです
 気心の知れた仲間とはいえ、これは忍耐と叡智と包容力の三位一体をそれぞれが持ち合わせていないと、「ロックの青春」なんて続きようもありません。
 1970年「let it be 」のリリースの時点において、ビートルズは分解状態だったことを思うと、いつ解散してもおかしくないようなイメージのストーンズが仲良しこよしを続けてきたのが不思議でありません。
  日本で公開したばかりの映画『ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライトマーティン・スコセッシ監督が2006年秋、二ューヨークのビーコン・シアターで開催されたザ・ローリング・ストーンズの2回のライブを、アカデミー賞受賞(『ディパーテッド』)撮影監督率いる撮影チームが集結して、撮ったドキュメント映画。
 この映画のテーマは絆です。
 もの凄い熱心なストーンズファンでない僕でさえ、ただただ、ライブ映像をとっているだけの映画なのですが、最後の2、3曲になって、バラードでもないのに、グランドをみんなで走り続けている甲子園球児のようなストーズに涙腺がゆるみます。(正直、半ばの選曲はちょっとダレましたが、個人的には)バラードではなく、あれだけ聞き慣れた、嫌というほど聞き慣れた「サティスファクション」のような刺激的なロックなのにもかかわらずです。
 ドキュメント映画と言ってはいますが、ライブが始まる直前まで、ストーンンズの曲順が出来ていないというのは、おそらく、マーティン・スコセッシ監督の演出だと思います。(もし、知らされてないと、いくら腕利きの撮影カメラマンが集められたとしても、18台ものカメラを駆使してカット割りなしに撮れるわけがありません)
 そして、演奏が終わったストーンズを忙しく、向かい入れるマーティン・スコセッシ監督のショットも演出でしょう。
 これが、マーティン・スコセッシらしいお茶目な演出である。
 ※ ちなみにミック、キースは久米宏さん、草野仁さん、みのもんたさんより、一歳、そして、チャーリーワッツは三歳、年長である!

 この映画を見た直後、女流カメラマン、アニー・リーボヴィッツの半生を描くドキュメンタリーを見ました。全裸のジョン・レノンが服を着たオノヨーコに抱きついている、誰もが一度は見たであろう有名な写真がある。ジョンはその撮影後、4時間後に銃撃されこの世を去った。
 本作はこの"最期の日の写真"を撮影した彼女は世界中の有名人の間でもっとも人気のあるカメラマンの一人であり、作中の関係者の言葉を借りれば、ニコール・キッドマン(いわずと知れたハリウッドのトップ女優)を撮影したい場合、彼女以外の撮影者が依頼すると翌月になるが、アニーであればその日の夜にやってくる、というほど尊敬を受けている。
 彼女はこれ以外に、ヴァニティ・フェア誌の表紙を飾った女優デミ・ムーアの妊婦ヌード、ゴルバチョフソ連大統領を起用したルイ・ヴィトンの広告など、世間を騒然とさせる作品で知られている。
 そして、彼女を一番有名にしたのはロックカルチャー雑誌「ローリングストーズ」誌のカメラマンで成功をおさめたからだ。
 彼女は当時、ローリングストーンズの取材に行くのを編集長に止められる。それは、ストーンズがコカインなどの薬中になりながら、ツアーをやっていたからだ。若い娘みたいなカメラマンをそんな場所へは送れないと思った親心だった
 しかし、彼女は編集長の助言を振り切り、ツアーに同行。ストーンズから「まるで、そこにいるのを忘れた」と言わしめたほど、空気のような存在になって、見事な写真を送り続けた。
 そして、アニー・リーボヴィッツ自身もツアー中に薬中になっていた。
まるで戦場カメラマンのように。
 この映画、二本続けて見ると、とても良い。
アニー・リーボヴィッツの半生の映画はアニー・リーボヴィッツの妹が監督をしている。