近代能楽集からあやしい探検隊

新国立劇場三島由紀夫さんの「近代能楽


」の舞台を鑑賞に行く。昨年、マネージャーの高仲さんのご紹介で、十朱幸代さんのお仕事をさせていただき、
この度、ご招待いただいた。
 昨年の初対面の時、某ホテルの喫茶店で十朱さんが登場。真っ赤なコートを着ていらして、まるで、フランスの女優さんのようだった。以前から、十朱さんは日本人離れした女優さんだったと思っていた。
 高校生の頃からNHKの「バス通り裏」にご出演していた。高校生だが、女優さんとして、すでに収入があったわけで、いつも、お友達に大盤振る舞いしていたという。
 お父様の十朱久雄さんも実にスーツをうまく着こなしていた方で、まるでフレッドアステア。喜劇をなさっていたが、その仕草、物言いが、日本の喜劇人とはひと味違う、アメリカンな俳優さんだった。そして、品が良かった。
 その血脈が幸代さんにもしっかり流れていて、舞台を見ていると、その立ち振る舞いがブロードウェイの舞台を見ているようなのだ。
 その顔立ちのせいもあるが、ああいうsweetな声の持ち主の女優さんって、日本では他にはいないであろう。
 僕は1980年の封切り映画「震える舌」(野村芳太郎監督、井手雅人脚本、三木卓原作)を封切りで見たが、これが実は十朱さん主演の隠れた名作。娘が破傷風になるという話である。
 三島由紀夫さんの作品は大学の卒論で一丁前に「三島由紀夫論」を一年かけて、ゆっくり書いたくらいだから、卒論の中身は別として、小説、評論は高校時代からほぼ、読んでいた。しかし、戯曲にはほとんど、手を出しておりませんでした。しかし、何年か前に、三島さんの歌舞伎「椿説弓張月」を歌舞伎座で見ましたが、新劇の舞台は初めて。
   三島さんの小説は唯一無二ですが、相当、三島さんも当時の劇作家の影響は多かれ少なかれ、影響を受けていた?のでは台詞を聞いていて思いました。
あくまで私感です。
 十朱さんの楽屋にご挨拶に行き、その足で今度は新橋へ。
 僕がずっと所属していたOTOの滝川くんと新橋で合流、水道橋博士がその後、合流。博士がテレビ東京から歩いて来たそのスタイルはでかいリュックに、スニーカーと、椎名誠さんの「怪しい探検隊」ばり。
 僕もこの距離はいつも「怪しい探検隊スタイル」、登山靴で歩いる。端から見たら、三浦雄一郎さんの「セサミン」のコマーシャルのような格好である。
 先週、博士に飲みに行こうと、提案したら、互いのスケジュールがなかなか合わず、「丹沢にハイキングに行っているので、そこで合流しませんか?無理ですよね?」とメールが届いた。
 しかし、自分は時間が空いていたら、行くつもりだった。まじで。
 これは椎名誠さんの「怪しい探検隊」のメンバー木村弁護士が、スーツ姿のままでも、キャンプ地に革靴をはいたまま遅れて合流するエピソードを覚えていたからだ。(そこまで真似なくていいか)
 初めて行く居酒屋で、ビールで乾杯。しつこいようだが、これまた「とりあえずビール」は怪しい探検隊の椎名誠さんスタイル。椎名さんのビール好きは有名。
 椎名誠さんのエッセイを読んでいると、「いやはや」という言葉が口癖のように書かれている。自分も文章を書くとき、この「いやはや」が思わず、出てしまう。椎名さんのライフスタイルは憧れても、決して、文章は同じ文筆業なので、パクりたくないと思っていた。
 悔しいので、僕が小学校の時に書いた文集「修学旅行日記」をめくってみたら。文章に「いやはや」が連発されていて、なんだこれは自分のオリジナルなのだ。椎名さんのパクリではないと、安心した(笑)
 さて、宴会が8時集合で始まった。話題はキングオブコント苫米地英人、速読、「RON」(日本テレビ)・・・・盛り上がったところで、なんと9時半に閉店。
「ちょっと、ここは民宿か」と、僕は奇声を上げたが、動じない従業員のおばさん。
場所を移動、迷いに迷って、某新橋の老舗ニッカバー。
 ここは、西部劇のLPがかかる。ニッカの樽をテーブルに飲む。
 僕はその後、帰ったが、滝川くんは博士に拉致され、博士宅へ。
翌日、博士は近場でキャンプ。
滝川くんは携帯電話を博士宅に忘れ、大騒動。
先日、滝川くんと飲んだ時も携帯電話を紛失、事務所に忘れただけだった。
「携帯にひもををつけたら?」
「つけてたことあるんです」