モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 〜グレアム・チャップマン自伝

今の放送作家の大半はコントを書いたことがない世代。作家がプランナーと化している。僕らの時代はコントを書けるのが放送作家の一人前の条件だった。いいコントを書けると一目置かれる。コントを書いたらあの人はピカイチと、変人でも評価された。
 モンティ・パイソンが放送された以降(日本でも1976年から、東京12チャンネル(現テレビ東京)で、深夜に『空飛ぶモンティ・パイソン』の吹替版が放送され、広川太一郎などの芸達者な声優陣が参加していたこともあり、カルト的な人気を博した)、この笑いに準じたコントを書く世代が出て来た。ビートルズがデビューして、みんな真似て長髪にしたくらいの影響力だった。
(別の話だが、ビートルズの記者会見の発言もモンティ的センスの答えだった)
ナンセンスで洒脱でオチはないが、おもしろいコント。しかし、成功例は日本では極一部。
 「モンティパイソンみたいなコント番組をやろうよ」が当時のコント番組の企画書に書かれていた
 このセンス、難しいのはたった一人のモンティパイソンセンスを持った作家が書いてもそれを具現化する演出家、美術が、音楽効果がそして、演者が揃わないと、あの英国的な洒脱な笑いの世界が具現化するのは難しい。いわゆる、舞台の「赤毛もの」のようなコントになってしまい、出来上がりを見るとテレてしまう
 日本のバラエティがおもしろくないという視聴者がいる。視聴率が昔ほど高くない
 この原因の一部にはパロディを禁じているからである
 笑いの大事な要素に風刺、パロディがある。
 それを禁じ手と、されてしまって笑わせるのは大砲の武器を失ったようなものだ
 どうもコンプライアンスとかの問題があって出来ないのだが、番組にクレームをつけてきている視聴者の
 理想にそって、台本もいっその事書いてもらってお笑い番組をオンエアしてもらいたい
 それを見て、その視聴者たちは笑えるものが完成するのだろうか?視聴率を稼げるのだろうか?
 笑いは権力がおかしな方向に行く時、歯止めをする効果がある。
 間接的なジャーナリズムであり、笑いを含んだ告発で、社会に貢献しているのだ
 そこは現在、全部NGを出している社会は相当、危ないと思う
 
 アニメ映画『モンティ・パイソン ある嘘つきの物語 〜グレアム・チャップマン自伝〜』http://monty-python.jp/