植木等さんのコントを書かせていただきました

きついなあ。
この死は。
自分にとってのついにXデーが来てしまった。
植木等さんの死だ。
僕の台本で、学級活動で小学4年〜小六のときまで、「シャボン玉ホリデー」のパロディーオリジナルコントを自分で書き、演じていた。
もちろん、植木さんの「お呼びでない」のコントパロディ。
低学年の生徒がそれを真似して、小学校中で学級活動の時間、コントブームになった。
小六の卒業のときの謝恩会で先生に「植竹、お前ら、コントをやるんじゃないなあ?」と
釘を打たれた。
謝恩会には適切ではないということだったのだろう。
僕は楽器演奏をした。
曲名は「モア」「真珠貝の唄」など、ちょっと、おマセなレパートリー。
僕は鉄琴とベースを担当(ベースと言っても、レクトーンの足で押す黒鍵を手で弾く)
ほっと、胸をなでおろす先生。
しかし、僕のやっていた「お呼びでないコント」を見ていたクラスの
ほかの連中が総勢30人で「お呼びでないコント」を踏襲して、コントをやってくれた。
うれしかった。
30人が全員で「ハラホロヒレハラ」と舞台で演じていた。
父兄の前で(笑)
それから、16年経過。
僕は日本テレビの「いい加減にします」という番組で
植木等さんの「お呼びでないコント」復活コントを書くことになった。
台本に書いてあった僕の名前を見て、「植竹・・・植木・・植が一緒だね うれしいね」と
喜んでくれた植木等さん。
感無量だった。
僕はクレージー研究会家でもなんでもない。
でも、同世代の皆さんとともに、クレージーキャッツさんをものすごく好きだった。
影響された。
学級活動でパロディコントを書いてたら、ご本人がやってくださるなんて!まったくの偶然。
植木さん、本当に大変ありがとうございました。
お世話になりました。