九州男児ショー

草野仁さん、息子さんの裕さん、くりぃーむしちゅーの上田くん、僕とで
会食。草野さんのご招待で麻布十番の中国飯店 富麗華にて。
 蒸し暑かったが、草野さん親子はスーツをバシっと最後まで着ておられたがポロシャツの上田くんとTシャツの僕。
 己の軽装に上田くん、ややびびる(笑)
 草野さんは長崎、上田くんは熊本の九州男児
 草野さんの若かりし頃のあまりに奥様への豪快な九州男児ゆえのエピソードが漫画みたいだ。
 奥様が「花が見たい」と言われ、「連れて行ってあげる!」
と、草野さんは車で公園に乗せて行き、車内から5分間だけ花を見せたという(笑)
「僕もそこまでは」と、同じ九州男児の上田くんもポカンとしていた。
 何しろ、典型的な高度成長期の猛烈男だった草野さん、まったく家庭サービスというようなものを一切やっていなかったと反省を込めてお話になっていた。
 草野さんに当時のNHKアナウンサーのアナウンサー採用の話をお聞きした。
 当時、NHKは社員として採用した人全員に発声練習などもさせて、本人の希望とは関係なく、総合的判断を下し、アナウンサーに採用させていたそうだ。
 記者が志望だった草野さん。
 まさかアナウンサーにならされるとは夢にも思わなかったそうだ。
 決まった時は落ち込んだそうだ。
 しかし、この時のNHK採用方式。実は理にかなっている。
 ただただ、読むのが上手な人をアナウンサーと採用してしまうと、学生のアナウンサー研究会のようなおしゃべり上手の人材しか集まらない。それでは、現在のような番組の看板にするには司会者としてのキャラクター幅が少ない人材しかいないことになってしまうからだ。
 60年代から70年代のNHKのアナウンサーが役者揃いなのは恐らく、この採用方針のためだろうと思う。
 ヤンキース松井さんと交遊のあるの草野さんから、仕事でアメリカで松井さんと会って来た土産話を聞く。
 「松井みたいな息子がいたら最高ですね」と、僕。
 これには皆さん、同意してくれた。
 プロ野球の話になって、上田くんのおじいさんは川上哲治元巨人監督が幼い頃、川上さんのお母さんと近所付き合いしていて、哲治さんを可愛がっていたそうだ。その上田くんはお笑いの前は「プロレス記者」志望だった。草野さんは報道記者志望だった。
 人間の人生はなりたい一心ではなく、運命に流されてなっていることもあるわけだ。
 草野仁さん、草野裕さんをお送りしたあと、上田くん行きつけの店にハシゴ。紹興酒がうまかったのでぐいぐいすでに飲んでいたので、ここからが小生、ほとんど記憶なし。途中、ブラザーコーンちゃんに電話。そのあと、タクシーに乗るもジャケットが見つからない。タクシーで乗った場所へ引き返したら見つかる。反省。