国家的放置プレイ

生命保険の死亡保険金を計算するもとになる標準生命表というものがある。
標準生命表は、たとえば、同じ年に10万人が生まれて、その10万人のすべての方が亡くなるまでの確率を表にしたもの。男性の場合、10万人が生まれて生存者が9万人にまで減るのが60歳。つまり、生まれた時から保険を掛けても、60歳までに保険金を受け取れるのは10人に1人ということ。  
つまり、生命保険というものは保険会社が絶対に儲かるように計算上なっているみたいなのです。

最近、保険会社の「不払い」がやっと表沙汰になった。
遅すぎる。
これこそ、保険会社と国家の国民への最大級の「放置プレイ」である。
そのほとんどが契約者が死亡しても、家族が死亡届を出さない限り、通知してこなかったという単純なものだという。
扶養家族の全員が死亡した家族が保険に入っていることを把握しているわけがない。
お客側が通知しないから、払いませんでしたってことだ。
年間、人によっては何百万単位のお金を払わせておいて、そんなのありか?
生命という一番大切な、尊大なものを扱っているのだから、三ヶ月に一遍でもいい!いや、本来なら、週一回くらいは!「お元気ですか?」と声をかけるのが、保険会社という商人としての最低限のマナーであり、「お仕事」ではないだろうか?
生命保険社の社員の「お客様往診制度」というものを作ってみてはどうであろう。
お客によっては、縁起でもないからという人がいるかもしれない。
ならば、契約時に「一年に一回、声をかけるとか、わかりやすい通知が来るとか、往診報告義務」を契約書に明記することにしてはどうだろう。
なんたって、人様の命がかかっている仕事を携わっているのである保険会社は。