中村勘三郎さんさんとディズニーランド

 新橋演舞場「殿のちょんまげを切る女」を鑑賞。歴史の宮崎の知事誕生の話と東国原知事誕生が偶然があり、突然の知事訪問で話題になっていた芝居。
 中村勘三郎さん、藤山直美さん、大村崑さんという豪華ラインナップ。友人のラサール石井くんが演出。これだけのメンバーを操る石井くんの忍耐力に頭が下がる。
商業演劇という中高年層にわかりやすい芝居を作るというのは、たまに目にする下北沢界隈の若者小演劇の自己陶酔型の芝居作りではいけないのだ。ストリップ劇場の舞台でコントをやり、そこからのたたき上げ、オヤジからおばさんまで大衆が望むものを石井くんの目はいつも見て訓練されている。誰でもわかる芝居というところに落とす、落としどころの演出テクニックであろう。
途中、大村崑さんの「うれしいとメガネが落ちるんです」という大ヒットCMの台詞もあり、大村さん主演の「とんま天狗」の台詞もあり、ああ、大村さんは昭和の大スターだったと改めて、感激。
このギャグで笑いが大いに起こるのが、いかに客層が上か、わかる(笑)
一度の休憩をはさんでの上演。
 同行の西村P「この休憩にお弁当やお茶を食べて売り上げを増やすシステム。しかし、
最近はこのシステムが崩れつつあるんだよね」
 そういえば商業演劇というのはやたら長い。三時間なんて当たり前。二回、休みが入るというのも常識。いくらおもしろい芝居でも何度か、睡魔が襲ってくる。その点、おばさんたちは目をランランさせて芝居を見ている。そのタフさに女の底力を感じる。
しかし、そういう長い芝居が若者には特につらく、若い演者で短い上演時間が望まれていて、そのような動きも最近、大きな伝統ある劇場で行われつつある。
芝居が終わり、中村勘三郎さんの楽屋に西村P、北野Pと顔を出す。二年前に勘三郎さんとラサール石井くんとアメリカディズニーランドを堪能する旅番組して以来のお付き合い。何しろ、中村勘三郎さんは小学生の時に、本場アメリカのディズニーランドに行っている。ガンダム世代があるように、我々は小学生の時、ディズニー劇場(テレビ番組)で育ったディズニー世代である。映画『アッちゃんのベビーギャング』(1961年)の主役の アッちゃん役で、僕が小2の時、中村勘三郎さんは小一でベビーギャングというニックネームですでに大スター。そのご褒美として、本場アメリカのディズニーランドに親戚に連れて行ってもらったというのだ。
3年前のアメリカのディズニーランドのロケは勘三郎さんの奥様も同行。ミニーちゃんの模様の着物を着て登場したのには驚いた。
僕はアメリカのディズニーランドの昔からあるホテルに泊まったときは、「オレはついにここへきた」とジーンと来るものがあった。
勘三郎さんが初めて、訪れてから、すでに45年も後なのだが。
それは10年前にMTVアワードの仕事でロスの海岸の浜辺で裸足を渚に浸していたとき、「オレは今、ビーチボーイズの歌「サーファーガール」の舞台にたっている」とジーンとして以来だった。
僕は本当に単純な男(笑)
さて、4月は「桂春団治」のジュリーと藤山直美さんの競演も見逃せない。何しろ、館直志の作である。あの藤山寛美さんの名演の作は全部、彼の作品。
館直志というペンネームが借金返済の「建て直し」の意味で付けられた松竹新喜劇の座長、作家の故二代目渋谷天外の名前だったことを知る人も少なくなった。藤山寛美さんだって亡くなったんだから、当たり前か。
現在の渋谷天外さんは三代目である。