狂言が笑えないのは僕だけでしょうか?

歌舞伎座の『仮名手本忠臣蔵』を忠臣蔵を見損ねてしまいました。歌舞伎研究会の大学の先輩と共に行く予定でしたが、ダウン。理由は「花粉症」。眠くて動けない。
日本の古典芸能の中で、唯一、理解しがたいのが、狂言です。
一体、あの仕草の、あの台詞のどこに笑いどころがあるのか?この疑問は小学生の頃から始まり、現在、一応、笑いのプロになっても、その疑問は?のままです。
武士の文化の中で生まれたから、「笑いの質が低い」と説明してくれた方もいます。
それにしても、ローコストの舞台。
歌舞伎のエンターテイメント性から比べると、わからないのです。
勉強不足なのかもしれませんが、笑えない。
落語のように座布団一枚のローコスト芸ですが、落語の芸の奥深さ、無駄のない台本の練られ方の素晴らしさ、踊りや歌の素養が下敷きにある落語の芸は理解できるのですが、文楽お能はぐっと来るのですが、狂言はなあ。
他の古典芸能と比べて、狂言師のスターはみな、若く、芸人というより、研究室から白衣で出てくる神経質な理科系男子みたいで、馴染めないのかもしれません。
狂言のスターが若くして、芸を一丁前に語ってしまう姿も、60過ぎから、芸が向上していき、三遊亭円生においては60過ぎてから、ネタを生涯で一番覚えたという先達を見ていると、なんか、違うんじゃないのと、小言を言いたくなるのです。