ボクはふと、上岡龍太郎さんを大滝詠一さんに合わせたら、化学反応が起こるのではないかと、ボクの根っからのいらないお世話根性がクビを出し、ボクがまったく面識のない大瀧詠一さんに「上岡龍太郎にお会いしませんか?」とオファーを出す


上岡龍太郎さん 逝去のニュース。

 

上岡龍太郎さんとの初対面は30年以上前の『ムーブ・上岡龍太郎の男と女ホントのところ』(TBS).

その後、タイトルは「上岡龍太郎がズバリ!」に変わる。

この番組 毎週スタジオにあらゆる同種の人々を50人集める。

第一回目がボクが担当だった「極道の妻たち50人」。

その関係者が見学に来ているスタジオ内は異様な空気に包まれていた。

組の違う女将さんたち。

そして、スタジオ内にいる組の子分たち。

あわや、収録中に発泡事件があったりしたらどうしようと、

スタジオとサブを行ったり来たりしていた。

 

上岡龍太郎さんが東京レギュラー初進出の鳴り物入りの19時代のバラエティ番組。

関西の大御所に台本を書くのは度胸がいった。

漫画トリオ』で60年代にすでに天下をとり、コンスタントに

関西のテレビに君臨している芸人さんであり、大御所。

しかし、そのことは杞憂におわった。

ボクの書いた原稿を本番ですんなり読んでくれた。

毎週、「不倫中の妻50人」「ヌード写真を撮ってほしい女性50人」「東大卒女子50人」「一流男性モデル(まだ、無名の竹野内豊さん、谷原章介さん、沢村一樹さんもスタジオに)50人」などなど、番組は20%を越える大ヒット番組になった。

 

ボクはふと、上岡龍太郎さんを大滝詠一さんに合わせたら、化学反応が起こるのではないかと、ボクの根っからのいらないお世話根性がクビを出し、ボクがまったく面識のない大瀧詠一さんに「上岡龍太郎にお会いしませんか?」とオファーを出すと、あっさり承諾の返事が速攻でメールで来た。

二人が対面するのは六本木の某地下の飲み屋さん。

それから、お二人の関係は続き、上岡さんの新宿西口の会場で行われていた定期的な独演会には

大滝さんは通い、毎回、打ち上げは上岡さん、ボク、大滝さんで昔の歌謡曲、演歌の話で盛り上がった。

ある時、その場で上岡さんが大滝さんに「そんなに昔の歌謡曲に興味があるなら、なんか形にするとよろしい」と提案。

それが大滝さんがあとになって「日本ポップス伝」のラジオ番組制作のきっかけになったという。

ボクの仲人も少しは役にたったわけだ。

 

その後、上岡龍太郎さんは芸能界、テレビ界を自ら引退。

ボクは年に2回 春と秋に大阪に悠々自適に生きておられる上岡さんに

様子伺いの電話連絡を欠かさずしていた。

その間に大滝さんが逝去なさった悲しいニュースも上岡さんにお伝えした。

そして、今、ボクはお二人の<死>を受け入れねばならない立場になった。