今村 核 著「冤罪と裁判」


20年くらい前に本当の裁判の事例を法廷漫画家の描く絵を紙芝居に仕立てて、バラエティ番組にできないかと考え、某制作会社プロデューサーを誘い、実際の裁判を見学に行ったことがあった。
見たのは痴漢行為をしたと思われる妻子のある30代のサラリーマンの裁判。
そのサラリーマンは有罪になった。
家に帰って企画書をまとめようと思った時、ふと、この人がもし、冤罪事件の被害者だったら、どうなるんだと考え込み、自分の考えた企画の浅はかさに気づき、企画書を中断したことがあった。

冤罪弁護士として著名な今村核さんの「冤罪と裁判」(講談社現代新書)が面白い。
シリアスなネタなので面白いという感想は本当は不適切かもしれない。
本には冤罪の事例がいくつも挙げられる。
警察官の取り調べの実態が本当に恐ろしい。例えば、
「お前がしゃべらないと女房の調べがきつくなる。逮捕することになるだろう」
「女房が海で溺れている。お前には助けられない。しゃべれば、警察が船を出してやる。女房を見殺しにすんのか」と、攻め立てられ、「これからしゃべりますから女房を帰してください」と、被疑者は虚偽自白を始める。
まるで、警察なのに、「仁義なき戦い」のやくざのような脅し方だ。ドラマでしか見たことがない取り調べだが現実の取り調べがそれ以上に非常な現実に驚かされる

この本には、心理学者浜田寿美男氏(奈良女子大名誉教授)の「自白の研究」を引用している箇所があり、「「自白の研究」によれば、真犯人であれば「死刑」という生々しい現実感を持って、迫ってくるのに対し、無実の被疑者には現実感がない。しかも、それは遠い将来のことと感じられる。裁判で本当のことをしゃべればわかってくれると思う。それに対して、取り調べに耐えるつらさは、まさに、今の、現実の苦しみなのだ。そうすると、虚偽自白して楽になる方向にぐんと天秤が傾くというのだ。」
と、書かれていた
思わぬことで、被疑者になることは誰にでも可能性がある。
この本を読んで、その怖さをますます感じた