田中角栄を介護した力士

今、マスコミは大相撲一色だが、佐野眞一の「新忘れらた日本人」(2009年出版)
に「田中角栄を介護した力士」という章があった。
ちょっと、好きな話だ


十両までいった凱王(かいおう)。
引退してから、高齢者の介護の仕事をしていたが、そのキッカケは大先生(田中角栄)との半年間がなければ いまの仕事はやっていなかったという。
「当時、私の存在は誰にも秘密でしたから、目白邸に人が来ると隠れるようにしていました。相撲は昭和61年に廃業したのですが、田中邸に行ったのは断髪式前でまだ 髷を結っていました。」
凱王が目白邸に入ったのは田中が倒れてから1年半後。
凱王を田中邸に差し向けたのは当時、凱王が所属していた時津風部屋の親方内田勝男(元大関豊山 引退後 相撲協会理事長)。
内田は田中夫婦と付き合いがあり、角栄が倒れた時、なんでも力になれることがあれば言ってくださいと、角栄の奥方に伝えていた。
と、奥方から電話があり「主人の体の自由がきかなくなり、関取の方は力持ちですから お手伝いしていただけないでしょうか」と。
内田は最初から凱王しかいないと考えていて、「新潟十日町の出身で口は固い子です。
絶対間違いない子」ですと断言。
凱王の介護の手伝いも済み、奥様のはな夫人から「凱王さんの介護のお陰でだいぶ良くなりました。お礼をどうしてもしたい」
しかし、目白邸に行けばマスコミにつかまって騒ぎになる(大男ですから目立つのでしょうね)
そこで内田は一計。
部屋のある両国付近の合う場所をあらかじめ決めた。
角栄が乗っている車は田中直紀が運転。内田と凱王が立っているところを車が通過。
はな夫人は車の窓をあけた。
半身不随だった角栄は振れない手を一生懸命、挙げて感謝の念を伝えた。