「文学賞メッタ斬り! 言えないことはありません編」

 
文学賞メッタ斬り!2007年版 受賞作はありません編』(PARCO出版)刊行記念
大森望×豊崎由美両氏。 聞き手:佐々木敦
トークショー文学賞メッタ斬り! 言えないことはありません編」
青山ブックセンターで6月17日あり、あらかじめ予約して行って参りました。
限定100人のイベントであり、しかも、料金500円という読者介護値段。
ライブイベントや流行のラーメン屋の前に並ぶなどしたことがない人間ですが
開演45分前。一番目に並びました。
 僕は大森望×豊崎由美両氏に関しては、CS系のテレビ?でミステリーの書評のレギュラーだった頃、自ら、会員になって視聴して長年のファンであります。
 書評大喜利といったジャンルを築いたお二人。そして、なんか怪しい雰囲気。文壇の地下水脈みたいな人たちでしたが、その気の遠くなるような読書量と鋭く笑える分析にこれはエラい人材が出てきたと思いました。
 イベント内容は差し支えさせていただきますが、内容が内容だけに(笑)
始まる前に棚積みにされていた大森望さんのSF翻訳講座――翻訳のウラ技、業界のウラ話』(SF界でもお馴染みとりみきさんの漫画が描かれておりました。)をめくりながら、時間をつぶしていたら、貧血を起こした女性客が倒れるハプニングもありましたが、あっという間の二時間。佐々木敦さんの司会もとてもさわやかで気持ちのいいイベントでした
 
 豊崎さんは「大八車を両輪が作家と文芸評論家、後ろから押しているのが読者と書評家、前でひっぱっているのが編集者」とお話されていました。うまいことを言うなと思いました。
 しかし、僕には正直、文芸評論家と書評家の差異がほとんどわからなくなっています。
 たとえば、僕、今一番あてにしている文芸評論家の斎藤美奈子さんと書評家大森望×豊崎由美両氏とは活動が互いに肉体が摩り替わるがごとく、バッティングした文芸活動をしていると思われます。
 書評家と文芸評論家の批評眼の差異などほとんどわかりません。
 歴史立てて、体系化させて語るのが文芸評論家という人なのか???
 多岐にわたって作家を読みこなすのが書評家なのか?
 凄い大雑把な感覚だけで僕が思うのが、すべて、過去の文芸評論家に思うことなのですが、江藤淳さんや小林秀雄さんや正宗白鳥さんや伊藤整さんなどの文芸評論家は作家側に添い寝するように時には反目仕合ながら、活動していました。
 昔は作家が自殺したように、過去の文芸評論家たちは死の匂いをもっていた。事実、江藤淳さんは自殺なさいました。彼の講演を聞いたときに、その肉声からほとばしる情念に「ひょっとしてこの人は命を絶つかもしれない」と予感したことがありました。現実化したときはもちろん、ショックでした。
 現代の書評家はCOOLです。その点が大きく違うような、あくまで気がするのです。だからこそ、正当な評価ができるのではとも思います。
 あっと、気づいたときに、一般読者という国民の多くをバックに大森望×豊崎由美氏のような書評家はすでに表舞台に第二文壇を構築しているような気がします。
 いずれにしろ、時代は移ろっています
大森望×豊崎由美氏のような優秀な書評家という方が、昔の文芸評論家としての位置づけさせられ、「学者」「教授」としての立場にご本人の意向とは関係なく、押し上げられるのではと思います。
そんな大学の文学部なら入学して、きちんとノートをとってみたい(笑)