ディスコ王勢ぞろい

  某日。 
ユニバーサルミュージックで、ディスコの企画ものDVDの企画構成をやっているので、
赤坂のミラクルに深夜11時半に行ってきた。
このご主人の川畑さんは以前、六本木のテンプスの経営者である。
もろ、ソウルトレイン世代の僕。
僕は70年代前半は横田基地の周辺の病院に療養生活をしていた。
病院から抜け出し、たまに横田の黒人の米兵しか集まらないディスコに潜入していた
踊るのがさほど目的ではなく、ラジカセを手に持っていった。
いち早く、アメリカのソウルミュージックを入手するためで
あった。
そんなラジカセ、よく、店の方も断らなかったのが不思議だ。
その後、吉祥寺の城、カンタベリーハウス、ビッグトギャザー、そして、
六本木スクエアビルのネペンタなど、大学時代はブラザーコーンちゃんと
二人組のダンサーのように通っていた。高校生だったとんねるずも一緒に行っていた。
六本木スクエアビルはなぜか顔だったのか、全階、無料で出入りしていた。
昨日はディスコのステップの創始者のニックさん(還暦過ぎた)、「ミラクル」の経営者川畑満男さんに当時のディスコ模様を対談してもらうための収録だった。
ディスコを語る上で、この人らを抜きに語ったら、仁義の問題になる。ディスコの世界は上下関係がきちんとしているのだ
元GSのニックさんに、GSのことを僕がよく知っているので「なんでそんなこと知っているの?」と驚かれた。
彼らより若いDJマーチャンらも参加。
歌手のMINMIこと宮本典子さんやゴールデンハーフエヴァさんがGOGOガール出身であったこととか、当時、茨城にたった一軒アフロヘアーパーマをかけられる店が
あり、繁盛していて、今も現存するとか、ディスコ伝説がボコボコ出てきた。
当時は純粋にブラックミュージックファンがディスコに通っていた。
川畑さん曰く「昔の遊び人のお姉さんって、優しかった。ナンパで声かけても、
ゴメンなさい、今日、ツレがいるの。」と相手を、傷つけないで、丁寧に
断ったというのだ。
ちょっといい話だ。