お笑い本としての光文社の女性誌

 
男子でありますが、小学生の頃からですから、婦人雑誌読書歴45年以上です。
男子一生の生涯婦人雑誌読書人生(笑)
家が開業していたので、待合室は婦人雑誌の宝の山でした
一番初めの強烈な印象は「婦人画報」。創刊101年の老舗。
これはもう、ヘンゼルとグレーテルのお菓子の家以上に訪れてみたい
瀟洒な御家のお庭に奥様(今はセレブ?)が立って写っている。
現実離れした写真たちを眺めると、子供ながらにストレスが取れていきました。
「女性自身」に代表される女性週刊誌というのも置いてあったのですが、
痴情のもつれのような、子供にはちょっと怖い記事の印象が強く、馴染めませんでした。(今は、あまり、病院に女性自身のような刺激的な雑誌を置くところがありませんが、当時は平凡、明星もよく置いてました。1960年代の話です
現在は病院(正しくは医院)に置く雑誌の定番は家庭画報サライ、いきいき、ディズニーの絵本などでしょうか。)
しかし、床屋さんに行くときは置いてある女性週刊誌を熟読していました。
おそらく、女性週刊誌を読んでいる姿を親に見られたくなかったのだと思います(笑)
それから、随分と時間が経ち、1970年代後半でしょうか?
「JJ」が創刊されます。
時のスターは高橋遼子さんでした。表紙はいつも、この方。
聖心女子大白百合女子大に代表するお嬢様系がハマトラニュートラを着て
闊歩していた時代。
その象徴的雑誌が「JJ」でした。女優の賀来千賀子さんもこのモデル出身です。
その頃、現在、テレビにも出られている黒田知永子さんは高橋亮子さんのサブ的存在で
ありましたが、僕は黒田知永子(当時、樫本知永子)のファンでありました。
それから、うん十年経ち、雑誌「very」の創刊。
その表紙を飾ったのは黒田知永子さんでありました。
高橋亮子さんから、黒田知永子さんへこれは永年の下克上ではないか?と
まじで思いました。
これからが黒田さんの快進撃、年代を上げた「STORY」で表紙を飾ることになります。往年の黒田知永子ファンが納得のキレイさでありました。
この調子で黒田さんは50代、60代、そして、日野原先生の年齢になるまで
ファッションリーダーでい続けていただきたいのです
個人的には最近の黒田さんのテレビ出演はモデルとしてのマイナスイメージにつながるのではと、マネージャー的な心配をしています
いらないお世話ですが
なんたって最初に出演したのが「やじうまワイド
「JJ」からの熱心なファンはこの決断に面食らったと思います。
やじうまワイド」じゃないでしょう
最近の「STORY」の中の文化人との対談も何か、銀行の小冊子のインタビュー記事のようでいただけません。
ファンであっただけに惜しい気がします
あの「プラチナ通り」などの一連のあざといぐらいのネーミング上手の副編集長相沢正人さん、そして、中村浩子さんが抜けられてから、随分と「VERY」が僕にとって異質なものになってしまいました。
ある意味、笑ってしまうほどに高飛車な「JJ」からのスタイルが、光文社の女性誌は僕にとって最高のお笑い本だったのに。(こういう見方で読んでいる人って僕だけでしょうか?「こんな絵に描いたようなお嬢のライフスタイル、あるかよ!」と、突っ込み本だったのです。)
JJがモデルに「梅宮アンナ」さんを起用したときから、ちょっと違うんじゃないのと、僕は引いていったのでした。
それまでのお嬢様系という一本筋が崩れてしまったのです
しかし、それが時代のニーズだったのかもしれませんが。
話は「STORY」に戻ります。新たなモデルのスター冨田リカさんの出現は熱心な読者としては救いでありました。この方は黒田さんとはまったく違う魅力があるだと思います。

※2000メートル泳ぐも、81.1キロと体重増減