元寇朝青龍は強いはず

日本の国技は相撲であり、日本人力士が少なく、ほとんどが幕内は外国人力士であります。
国技という意味が伝統のことを意味しているのはわかりますが、ブラジルのどこの街角の少年もサッカーボールを蹴る光景があるように、日本のどこの街角にも土俵があり、四股を踏んでいる少年がいるわけではありません。
 なんでも、北海道の力士が少なくなったのは学校から「土俵」が消えてしまったことが原因だと、まことしやかな話を聞いたことがありますが、これが決定的理由とも言えないでしょう。
 相撲は国技というより、「伝統保存芸」と言った方がピンとくるのではないでしょうか?祭事でもともと、行われていたことを考えると、「芸能」の範疇に入るとも言えます。
 日本の相撲取りが弱くなったのではなく、来日する外国人の相撲取りの卵たちのバックボーンの違いなのではと、友人の村上信夫くんが構成した「一番、一番!真剣勝負」(NHK出版)を読んで思いました
朝青龍 明徳が正式の四股名だったことを今さながら知りました。
明徳は明徳高校出身であるからであり、「あきのり」と読むことも初めて知りました
朝青龍が明徳高校に来たときのことです。
おそらくは僕が北海道から30年以上前に上京してきた時以上に期待と不安に満ち溢れていた来日だったと思われる朝青龍。当たり前か?
高知の海は「モンゴルの草原に似ている」と思った朝青龍
そして、この高知の山の中はなんと田舎なのかと思ったというのです。
ランバードルは80万の大都市。朝青龍は意外にも都会っ子だったのです
明徳の寮の部屋に初めて入室したとき、まずはモンゴルの旗を部屋に壁に張ったといいます。また、明徳では朝礼で郷里に向かって頭を下げさせるという規則があります。もちろん、朝青龍はモンゴルに向かって一礼するのです。
 朝青龍は家族ばかりか国を背負ってやってきたのです
朝青龍横綱昇進。これは元寇以来の日本の歴史の大事件だったわけです。
元寇襲来、神風で撃沈という歴史がありました。
今年見たDiscovery chanelの検証によると、当時、元寇の船は川で使用していた浅い船 で襲来したことが失態だということを検証しておりました。
それはさておいて、来日した朝青龍はまさに「平和的に元寇の仇をとっている」(笑)わけです
彼の尊敬する人物はチンギスハーンです
モンゴルにはロシア革命以来、ロシアの衛星国。スターリンの像がある。
1980年後半なってペレストロイカになり、物がなくなり、岩塩しか店先になくなった。
そんな現状をまだ、若い朝青龍を体験してきています。
日本の相撲界の不安な噂を朝青龍はモンゴルで耳にします。「太らせられて30歳になると死ぬ。結婚なんてできない」
それでも、家族のためにやってきます。
幕下優勝で、賞金50万をもらい、父の会社が倒産を救います。
彼の精神は尊敬する昭和の時代の横綱大鵬千代の富士と変りません。
「土俵の下に金が埋まっている」
土俵がなくなり、相撲をとらなくなったからだけが日本人の相撲取りが弱くなった理由ではないことが、朝青龍の背景でわかります。
問題は背負っているものなんです
 話はちょいとわき道にずれるかもしれませんが、また、日本の小中学校で土俵を作ってみて、授業で相撲をとらせてみてはいかがでしょう。
 子供同士が体を触れ合う。投げ飛ばす、投げ飛ばされる。
 触れ合う質感を感じること、投げ飛ばし、投げ飛ばされる側の痛みを想像すること、投げ飛ばされ、痛みを実感することが大事な気がします
 大きくなって恋をした男女で触れ合う以前に仲間同士で相手の肉体を実感することが必要なのではないでしょうか?肉体が存在する<命>の意味をHUGして確かめるのです
 そう、学校に一土俵、一軒家の庭先に一土俵運動を展開しませんか?(笑)
※昨日の体重80.8キロ。T氏に言われ、ブログに書きこむと、目標ができるかもと