青年はジャニーズをめざす 第3章 番外編

書評家の吉田豪さんの記事を読んで元光GENJIの「くそ長〜いプロフィール」諸星和己
読んで見ました。
 僕はかつて、テレビ朝日の「ミュージックステーション」の台本を書いていたので、光GENJIとは毎週のように顔を合わせていました。
しかし、さすがにローラースケートのアイドル達の登場はたのきん、少年隊の流れを目の前で見てきたものとして、度肝でした。
 それまでのジャニーズ系譜としては異形なアイドルに見えました。
 「踊り」というのがベースになっているジャニーズ史ですが、ローラースケートに乗ることによって、踊りがうまいのか?下手なのか?曖昧模糊になってしまうのです。
 たのきんによって、マイケルジャクソンタイプの田原トシちゃんは別として、一度、踊りの系譜は一度、休止されるのですが、ここでまた、ローラースケートという飛び道具が出てくるとは!
 このアイデアは「くそ長〜いプロフィール」に書かれているようにジャニー喜多川さんのアイデアのようです。ローラースケートブームであった事実、「スターライトエクスプレス」(原作者はイギリスのアンドリュー・ロイド・ウェーバー劇団四季も公演) という海外のミュージカルがヒットしたこともキッカケになっていると思いますが。
 それで、アイドルとして「ガキ度」が沖縄の泡盛ばりに濃くなり、個人的には男子の触手に触れないグループでした。ただ、飛鳥さんの楽曲がこのあたりに全開になり、飛鳥さんのプロ作曲家としての力量を光ゲンジの歌を通して知ったのは収穫でありました。
このグループとは個人的には自分の触手が動かず、会話することがほとんどありませんでした。
 しかし、この本を読んで、人を見かけで判断したことを悔いました。いくら、ガキっちょに見えても、切断すると、おうおう、こんな男だったのか、諸星くんは!
<おもしろい箇所ピックアップ>
○諸星くんは1970年生まれなのに家には白黒テレビしかなかった。
○寝るときは家ががけっぷちにあったので「端っこに寝ろ」といわれた。
○13歳に初めての東京。野宿代々木公園。
原宿の公衆便所のトイレがないので、ティッシュをもらった。
仲間がズームイン朝に出たいというので日本テレビに行く。
○母親をよし子と呼び捨て。今でも母というより友達。
○ジャニーズ寮はトシちゃんのみ土足OK
○紙パックに104と書いてあるのはトシ意味。
○植草くんと紅白でけんか。止めに入ったのは北島三郎さん
○仕事に遅刻しそうになり、高速道路の路肩をローラースケートで走り、
府中で降りる
○ブスをたたいのに
「昨日わたしだけを怒ってくれてありがとう」とブスにお礼を言われた
○ 志村さん、たけしさんが勘定でもめるので「僕が払います」と諸星くんが払った

自分がスターだ!というプライド意識と、アイドルを続けていく不安が交差する青春の書です。規格外のジャニーズタレント諸星くんです。