青年はジャニーズをめざす 第二章

僕らが幼い頃、ジャニーズ事務所のその名の通り、ジャニーズのタレント第一号「ジャニーズ」(昭和37年結成、同42年解散。日本歌謡史におけるアイドルグループの草分け。レコードデビューは「若い涙」。代表曲は、坂本九などとの競作となった「涙くんさよなら」、テレビドラマ主題歌の「太陽のあいつ」)というグループがいました。これがジャニーズの栄光への道への第一歩。
彼らは歌、踊りと訓練を受けた芸能のプロ技術集団でした。ウエストサイド物語に影響されて、歌や踊りを志した4人組みで、いまや、みのもんたさんの「生テレビ」のレギュラーになっているあおい輝彦さんもメンバーでした。
 飯野おさみさんがリーダーで、ジェロームロビンスの振り付けを上手に踊るダンサー集団。現在のジャニーズとは雲泥の差があるほど、ダンスがプロでした。現在のジャニーズは「ヘタウマのダンス技術」であり、韓国のアイドルと比べるとかなりのダンスのレベル差があります。しかし、ジャニーズは総合芸術?ですから、そのことに重きを置いてないような気がします。
 この頃から、四人全部が歌えるのではなく、おあいさんと中谷さんが歌は専門に担当していました。SMAPの木村くん、稲垣くんが中心に歌を歌っているのと似ています
。これも伝統芸。
 第一号「ジャニーズ」の得意の歌は「マックザナイフ」ですから、今とは違って、大人のファンを意識していたことがうかがえます。
 何せ、ダンサーですから、あおい輝彦さんも今のようにぷっくりはお腹はしていませんでした。
 「ジャニーズ」は僕より、5、6歳上のお兄さんグループでしたが、その次にデビューしたのが「フォーリーブス」です。これが僕と年齢が近かったせいもあって、同じ歳の女の子はみんなファンであり、ちょっと嫉妬を覚えました(笑)
 中でも人気は青山孝さん。
 女子の95%は彼のファンでした。
 サル顔の男というのはモテるのだなあと思ったものです。そうでない自分は致命的だと挫折感味わいました(笑)
 「フォーリーブス」は踊りも歌もそこそこでしたが、なんたってリーダー北公次さんのバク転が、得意技。その後、「ジャニーズはバク転ができないと入れない」伝説がまことしやかに囁かれました。もちろん、僕はできませんでした。別に 入ろうと思ったわけではないのですが。ただし、今は旅のレポーターでお馴染みの「フォーリーブス」のおりもまさおさんが、「お尻を小さくしたいのでパンツはSサイズをはいている」というのを僕は素直に真似て、窮屈な青春時代を過ごしてしまいました。 
※その後、第一号「ジャニーズ」の飯野さんは劇団四季のオーデションに受かったり、
真家ひろみさんは日活ポルノ、個人タクシーの運転手さん。
写真はジャニーズです