ロシアのプーチンの蛮行を毎日、ニュースで見て、日本も他人事ではないと思い、日露戦争のことをふと思い、司馬遼太郎さんのノンフィクション「殉死」と関川夏央さんの「坂の上の雲と日本人」を読み直しました。
乃木は明治38年日露戦争で大将として指揮をとり日本国民に崇められた人物です。
よくぞ、ロシアのような大国に日本が勝ったものです。
しかし、指揮官としては乃木は無能であったことは戦後、司馬遼太郎さんの研究でも明かされ、今はそれが定説になっています。
実際には旅順を落とす指揮は上官が乃木の采配に心配し、別の軍人に指揮を取らせています。
乃木が指揮を最初取っていたので命を落とさなくていい多くの軍人が命を落としたと言われています。
乃木は極めて、ナルシストの人でした。
床に入る時も軍服を着て、寝る習慣があったそうです。
日露戦争から乃木が戻ると、乃木は何度か、自殺を試みそうになり、上官に止められます。
それより以前の明治10年の西郷隆盛の薩軍と戦った征討軍の乃木が軍旗を敵方に奪われるという大失態を侵した後も、乃木は自殺をほのめかし、上官らが心配します。
屈辱を死でもって葬るというナルシスティクな精神主義なのでしょう
乃木は明治天皇のなぜかお気に入りでした
妻静子も殉死します。
乃木が自分が殉死した後では静子の気が変わるのではと、疑念を持ち、自分より先に短刀で静子を自害させます。
静子は自ら、短刀で心臓を突きます。
殉死の当日、乃木は写真屋で夫婦の写真を撮らせます。
静子だけが、正面を向き、乃木が新聞を読んでいるという奇妙な写真です。
享年乃木希典62歳、妻静子52歳。
芥川龍之介は乃木と目される人物を「将軍」という小説に批判的に書き、乃木と個人的親交もあった森鴎外は時代小説「興津弥五右衛門の遺書」は乃木を擁護します。
○乃木はまっすぐ家に帰らず、吉原や柳橋で飲んで毎日 帰宅