水道橋博士の「藝人春秋」文学賞メッタ斬り?

僕にとって「世界で一番受けたい授業!」?の作家関川 夏央さんの授業講習を受けたのは2007年9月だった。その月、4週連続の土曜日2時間近い授業を横浜の図書館で運良く聴講できた。テーマは時代小説。平均年齢65歳くらいの熱心な受講者がいらしていて、僕なんて年齢的に少年のようだった。
 関川さんの話がある時、吉川英治の「宮本武蔵」の話になった。「宮本武蔵」は大衆性を勝ち得た小説で国民的文学とその後言われるまでになった小説である。「宮本武蔵」が流行小説になった頃、関川さんはある光景を目撃した。吉川英治の「宮本武蔵」を、サラリーマンのおじさんが電車の中で声を出して、「音読」していたというのだ。関川さんは後日、実際、それを真似て読んでみた。小説が踊り、調子が出たという。「宮本武蔵」は黙読するよりも音読するのに、よりふさわしい文学。それは吉川英治が講談の影響を受けていたからだったのでは?という推測だった。吉川英治が最初に当選した小説も『講談倶楽部』に送ったものだ。
 今回、水道橋博士の「藝人春秋」を横須賀線の車内である日、読んでいた。僕は無意識のうちに、「音読」している自分に傍と気づいた。「藝人春秋」は齋藤孝の『声に出して読みたい日本語』ではないが、声に出して読むと味わいが倍増する本である。美辞麗句、比喩、暗喩の使い方が水道橋博士に講談の素養があるか否かはわからないが、僕には講談調を思わせた。
 博士は漫才師である。しゃべりで伝達することを長年の間、刀を磨くように鍛錬してきた。 漫才も講談も話芸で、言葉の無駄を削ぎ落とした練られた芸である。
 言葉を発さなくても許される文章を書く作家と、空気中に発しても美しい言葉であり続けなくてはいけない前提の言葉を発する藝人が書く文章とは自ずと違いがあるはずだ。

 水道橋博士はデビュー当初から、今まで、その立ち位置は芸能界、テレビ界の常に異邦人である。この本は明治の頃、エドワード・S・モースが『日本その日その日」



』を、イギリスの女性旅行家イザベラ バードが「日本奥地紀行」を記したように、何十年に渡って、芸能界という座りの悪い場所で旅を続けてる藝人の観察文学である
 
 さて、藝人が藝人を語ることは野暮といわれる。
 そこを博士はどういう落とし所を自分につけているのであろうか?   
  テレビではまったくやらないから(放送禁止用語だらけで、正確にはやれないから)一般の人にはあまり知られないが、博士は50歳を過ぎた今でも、定期的に漫才のネタを下し続けている。このことが大きいのではないだろうか?
  浅草キッドとして、高田文夫さん主催の「我らの高田"笑"学校」で常に長年、トリを取り、勢いのある旬の若手藝人と平場でガチで勝負し続けている。常に漫才師という藝人の現役であり続け、若手藝人をねじ伏せて来ていることを担保にしているのだと思う。
ほとんどの中堅以上の藝人がある時期からネタを下ろす苦しい作業から降りる。だが、浅草キッドはこのステージから決して降りようとしない。このルールが他の藝人を語ることを自分に許す掟にしているのではないだろうか

 かつて安藤鶴夫『巷談本牧亭』が実存した講釈師の桃川燕雄などのことを書き、直木賞を受賞した。2008年に立川談春の「赤めだか」が出版された時、これはすごい伝記文学が出現したと思った。しかも、弟子と師匠のことをここまで赤裸々に書いた藝人文学。もしかして、直木賞、獲るのでは?と僕は思った。(その赤裸々さから言えば、むしろ、私小説のジャンルなので、芥川賞候補か?)
 水道橋博士の「藝人春秋」だ。出版社は直木賞の主催社文藝春秋社である。次回の直木賞安藤鶴夫『巷談本牧亭』以来の作品として、候補になってもおかしくない出来だと思う。
 僕が司会をしている「大森望豊崎由美のラジカントロプス2.0文学賞メッタ斬り」(ラジオ日本)の俎上に登って、多いに盛り上がって欲しいと実はのぞんでいる。
 
 1/27(月曜)深夜25時〜26時 水道橋博士のラジカントロプス2.0(ラジオ日本)はシリーズ博士のブログ解体新書2!司会は植竹公和 聞いてください http://bit.ly/5eXlgR