上岡龍太郎→オセロ松嶋

きらきらアフロ」を、皆さん、ご存知だと思います。
鶴瓶師匠がオセロの松嶋くんの、たわいもないフリートークに、
とろとろ、リラックスしたまま、付き合う、アドリブ漫才です。
鶴瓶さんはもちろん、天才でありますが、オセロの松嶋くんもまた、
女子の芸人としては、久々の天才芸人だと、思います。
NHKの「サイドマンブルース」の収録の合間に
僕は立話で、松嶋くんに「きらきらアフロ」について、聞きました。
「松嶋さんは鶴瓶さんに、キーワードになるネタだけはふってある(教えて)
のですか?」
「全然、言ってません」
「ネタは、松嶋さんはあらかじめ、少しは考えていってるのですか?」
「第一回目、考えていきました。一週間あったことをメモって、それと、友達から
これ、言うてやっていわれたことも、覚えていったんですが、いざ、本番を始めたら、
次なんだったけ?と、段取りを追うのがいっぱいで、全然、つまらなかったんで
その次から止めました」
「一切、ネタは作っていかない?」
「はい、作りません。もう、その方が調子いいんです。それにず〜〜〜〜〜と、話し続けて、終わったら、今日、何を話したか、一切覚えてないんです。でも、気持ちいい!」
ランナーズハイと一緒?」
「それです、それ。家でテレビ見て、ああ、こんなこと言っていたって、わかるんです」
「ぎょえ====!もちろん、パペポ見ていましたよね?」
「みんなにそう言われるんです、パペポ知ってる?って。でも、全然、知らなかったんです。」
パペポとは、
ウィキペディアWikipedia)』によると、
鶴瓶上岡パペポTV(つるべかみおかぱぺぽてれび)はよみうりテレビが制作し、日本テレビ系で放送された深夜番組。1987年4月14日から1998年3月31日まで、よみうりテレビの本社スタジオでの公開収録という形をとって放送された。番組開始当初は毎週水曜日に収録していたが、1991年頃から月曜日収録に変更。(生放送はパペポシアター開催時と500回記念の2回だけ)。「パペポTV」としては1998年で終了したが、番組は同年7月から同趣旨の「LIVE PAPEPO 鶴+龍」に移行し、2000年まで続けられた(後述)。
 パペポ鶴瓶さんと上岡龍太郎さんが、ぶっつけ本番、アドリブで世間話を永遠する番組であった。
この二人の番組を見て、当時、大抵の名のある芸人さんが「台本なしで、あんな、だらだら、話して笑いを取れる。あれは、芸人の理想の番組」と、僕に口を揃えて言っていた。
 この番組の大ファンの大滝詠一さんは、年末年始、お客さんを呼んで、番組を収録したVTRの上映会をやっていたというのを聞き、当時、TBSの「上岡龍太郎がズバリ!」という番組や、上岡特番の台本を書いていた僕は、「上岡龍太郎 VS 大滝詠一」の世紀の飲み会をセッティングしたことがありました。
 それほどまでに、伝説の番組「パペポ」。
 その平成版が「きらきらアフロ」なのは皆さん、ご存知でしょう。
 その松嶋くんがパペポを見たことがなかったというのです。
 「そんな!本当ですか?」と、僕は疑心暗鬼。
 「本当なんです。それで、あとで、VTRを見せてもらったんです、パペポ。・・・いやあ、驚きましたよ、パペポを事前に見ていたら、絶対、「きらきらアフロ」の仕事を受けてませんよ。
だって、鶴瓶さんと上岡さん、凄すぎますよ。」
 と、女子の天才が本音をこぼした。
 この言葉に寒気がするほど、男気を感じた。
 翌日、隠居中の上岡師匠に、このことを報告した。
上岡さんも「きらきらアフロ」もニ三度、見たことあるとおっしゃっていた。
上岡龍太郎って、もう、死におったよな?と、松嶋くん、僕のことをテレビで言ってましたよ(笑)はははは、」と笑い、「楽しく見てますって、松嶋くんに言っておいてください」と、上岡師匠は優しく、お話になった。
天才の伝言である。もちろん、松嶋くんサイドには伝えました。
きらきらアフロパペポ鶴瓶師匠と上岡さんの関係が逆なんです。わたしはパペポ鶴瓶師匠役で、鶴瓶師匠は上岡さんの役をやっているんです。」と、松嶋くん。
実は「GAHAHAキング」という番組で、まだ、無名のますだおかだくんを関西の松竹の小さなライブハウスに見に行き、青田買いで、「GAHAHAキング」に出てもらった。そのとき、原石だったオセロも出ていた。まだまだ、青かったオセロ、しかし、未来を感じた。僕は出演交渉しようとしたが、某氏が反対し、オセロの「GAHAHAキング」出演は実現しなかった。
当時、あの妙に暗いライブハウスのさびしい照明に照らされたオセロの顔は忘れられない。