上岡龍太郎さんに大滝詠一さんを紹介したあの日

 松嶋くんと上岡さんが交代するまで、パペポ鶴瓶さんと上岡龍太郎さんが、ぶっつけ本番、アドリブで世間話を永遠する番組であった。(今もそうであると思う)
 この二人の番組を見て、当時、大抵の名のある芸人さんが「台本なしで、あんな、だらだら、話して笑いを取れる。あれは、芸人の理想の番組」と、僕に口を揃えて言っていた。
 この番組の大ファンの大滝詠一さんは、年末年始、お客さんをご自宅に呼んで、番組を収録したVTRの上映会をやっていたというのを耳にした。
 当時、TBSの「上岡龍太郎がズバリ!」
という番組や、上岡特番の台本を書いていた僕は、「上岡龍太郎 VS 大滝詠一」の世紀の飲み会をセッティングしなくては?と、得意のおせっかい病が始まった
 立川談志師匠と右に並ぶくらい昭和歌謡の隠れたオーソリティ上岡龍太郎さん。
立川談志さんと同様、歌詞まで全部暗記している。
 この上岡さんを大滝詠一さんに会わせないわけにはいかない。
ちょうど、1996年「上岡龍太郎ひとり会」を新宿西口のホールで定期的に行っていた時代。僕が大滝詠一さんにご連絡し、心良く、来てくださることになった。
 僕と大滝詠一さんと、上岡さんの独演会の打ち上げでいつも昔の日本の歌謡の話を花を咲かせ、上岡さんが大滝さんに「そんな古い日本の歌のこと知っているならもったいないから発表しなさい」と言った。その一言で大滝詠一さんの「日本ポップス伝」という伝説のラジオ特番が誕生したとも聞いている。
 また、僕は大滝詠一さんにこんなことを聞いた。当時、1970年リリース通称「ゆでめん」は全国で一体どのくらい本当は売れたのですか?大滝詠一さんは3000枚しか売れなかったと言われた。(松本隆さん、細野春臣さんのインタビューでは1万枚という記載もあるが)当時、リアルタイムで買った君はとても珍しい人間だとも言われた。業界の人で当時、はっぴいえんどを聞いていたと言う人は多いがどうもそれはビートルズをリアルタイムで聞いたと多くの人がいうように錯覚だと大滝詠一さんはおっしゃった。だったら、もっと、はっぴいえんどは売れていたと(笑)
 落語好きの大滝詠一さんに、僕がプロデュースさせてたいだいている来年1月11日(土)北鎌倉お坊さんアカデミーの「桂竹丸 立川志の吉改め真打ち昇進立川晴の輔立川志の輔門下初の真打ち) 漫才流れ星」http://kitakamaevent.com/index.htmlにお誘いをしたばかりの、この出来事だった 合掌
僕が大滝詠一さんの曲だったのは意外と思われかもしれませんが「乱れ髪」
http://www.youtube.com/watch?v=7JnmrsQ-iwA