震災と御公務における天皇陛下と鉄道

 震災から、ご高齢であり、病いをおしての天皇陛下のご公務ぶりには頭が下がる思いがある。今は第二の戦後などと言われる。東北の被災地まで行かれたが、戦後という言葉が適切なら、これは<行幸>という言葉がふさわしいのかもしれない。ご高齢だから、移動だけでも天皇陛下をお疲れになると思うが、原武史さんの本によると、今の天皇陛下のお父上の昭和天皇行幸啓の鉄道のルートの長さは明治天皇大正天皇より遥かに長い。もちろん、皇太子であった時からの距離も含めてだが、全都道府県を鉄道で廻っておられる。戦前に沖縄の那覇をすでに訪れて(行幸啓とは基本鉄道移動のことであるが)、樺太の鉄道、台湾の鉄道にまで乗られおられる。特筆すべきは皇太子時代、名古屋で路面鉄道に乗っているので驚いた。
 昭和天皇の鉄道移動は戦前戦後の話である。
 松本清張原作で野村芳太郎監督の張込み(1958年)のシーンでベテラン刑事と若手刑事の移動の時の異常に長い鉄道シーンがあるが、見ていただけで疲れる。夏場、白いハンカチで汗を拭きながら、寝ていて、舟をこぎながら、昼夜問わず、満員の三等車に乗って張り込みの土地に行くシーンだ。もちろん、昭和天皇の移動車は御召列車といわれる立派な列車だが、それにしても、その走行距離を想像すると、気が遠くなる。
 ご公務というものが、過度過ぎるのではという声も最近たくさん聞くが、鉄道の走行地図を見て、歴代天皇はさぞやお疲れであったろうと思った。