「はっぴいえんど」というバンドが1970年に「ゆでめん」でデビューして、今年で40周年である。
僕が16歳にアルバム「ゆでめん」がリリースされた時の感想は「助かった」であった。この「助かった感」はその後、ユーミン、シュガーベイヴのデビューの時へと三段階に上昇していく。
1960年代後半はロックの黄金時代。もちろん、僕もその渦中にいて、その波を享受していた青年の一人であった。しかし、ランキング表をメモしたりする根っからのポップス少年であり、ランキングの30位とか40位のメインストリームではないポップスを趣向する人間にとって、当時の多くの青少年のまるで宗教のような大ヒットロックへの入信ぶりを大きな疑念を抱いていた。
つまり、ロックとかポップスって大音量で、間奏にはギターは早弾きを披露し、歌は絶叫し、おまけに、マリファナを吸って、アル中だの、グルービーをとっかえひっかえだの、ホテルの家具を壊しただの、まるで、ヤンキーを売り物にする芸人のセールストークのようなことがとてもとても大事な音楽を聴く為の刺身における醤油のような存在になっているのが、いたたまれなかった。
それは音楽とはまったく無関係の要素であるから。
そんな音楽の時代、ある種の孤独感を感じていた
そんな折、1970年にはっぴぃえんどデビューだった。
しかも、日本のグループである。
その後、30年以上たって、僕が仕事をしていた上岡龍太郎さんに大滝詠一さんをご紹介して会食した時、当時、1970年リリース通称「ゆでめん」は全国で3000枚しか売れなかったと言われた。(松本隆さん、細野春臣さんのインタビューでは1万枚という記載もあるが)君はとても珍しい人間だと言われた。いずれにしろ、全国でそれしか売れなかったアルバムがどれだけ、自分の孤独感を癒してくれたか?
それは音楽はメロディーであり、音楽はテクニックではなく、アンサンブルであり、センスであるという勝手な持論をやっと肯定してくれるバンドが日本に出て来たからである。
もちろん、鈴木茂さんのギターテクニックはベンチャーズのノンキーエドワースでもなんでも弾けるし、細野晴臣さんだって、John Paul Jonesのようなベースだってなんでも弾ける。
ただ、当時のロックアーティストは足し算の音楽だった。
自分の手のうちを全部披露する。「ヌードの音楽」であった。
しかし、はっぴいえんどは引き算の音楽である。
本当は音楽のネタを大量に知っているのに、あえて、削除して、綺麗な体にして行く音楽である。
膨大な音楽的知識を持ち、本来だったら音楽評論家になっても良さそうな4人がミュージシャンという表現者になった。
山下達郎さんが出現するまで、この種の音楽家は彼らだけだった。と、思う。
「精神の衝動の解放を音楽にぶつける」というあまりに陳腐な学生運動の立て看板のごときロックと称される音楽へのCOOLな異端者達であった。
そして、この人達は絶対に日本の音楽界を将来、揺るがすと予感した。
こういう人が東京にいるんだ!
東京への憧れは函館で暮らす田舎者の僕にとって、クレージーキャッツの植木等さんの映画の無責任シリーズに出て来る銀座の眩しい光景以来の憧れになった。
こういう人達をもっと知らしめたいとか、こういう人がいる環境にいたいとかぼんやりした東京への憧れになった。
函館の公会堂の大きな木の下で アルバム「ゆでめん」の大滝詠一さんの朝をカセットテープで聞いた。アルバム「風街ろまん」の細野晴臣さんの曲「風をあつめて」「夏なんです」が本来、松本隆さんの詩は原風景の東京のはずなのだが、北海道の雄大な景色にぴったりあった。それはこの音楽の持つスタンダード性がどの場所でどんなイメージであろうとフィットしてしまうのだった。
上京後、大学生になると、落語研究会に所属しながら、バンドをやり、細野春臣さんに憧れベースを弾きながら、ボーカルを取った。
はっぴいえんど周辺は予想したように1973年のユーミンのデビューアルバムで「ひこうき雲」で細野晴臣さん、鈴木茂さんがキャラメルママで、1975
年のシュガーベイブのデビューを大滝詠一さんが関与して行く。
僕とその後のはっぴいえんどの関わりは1987年公開のジョージルーカス制作のstarwarsシリーズ映画「エンドア-魔空の妖精」で、僕は日本で劇場公開用エンディングのテーマ「魔法のジェラシー」(歌 南翔子(うるせぇやつら等のテーマを歌っていて、彼女のお兄さんはワイルドワンズの渡辺茂樹さんとスペクトラムのベースの渡辺さん)を作曲した。作詞は森雪之丞 さん。
アレンジャーが元はっぴいえんどの鈴木茂さん。
憧れのジョージルーカス、そして、鈴木茂さんとなんらかの形で仕事ができたのがとても感動的だった。
また、友人の角松敏生くんは鈴木茂さんと仕事をするようになり、自分のライブアルバムで茂さんと競演した。
そして、僕が大滝詠一さんを上岡龍太郎さんを御紹介し、上岡さんの独演会の打ち上げでいつも昔の日本の歌謡の話を花を咲かせ、上岡さんが大滝さんに「そんな古い日本の歌のこと知っているならもったいないから発表しなさい」という一言で大滝詠一さんの「日本ポップス伝」という伝説のラジオ特番が誕生したとも聞いている。
また、「はっぴいえんど伝説」の著者音楽評論家の萩原健太さんとTBSテレビのMTVで仕事し、今回、僕がインタビューしているラジカントロプス2.0(ラジオ日本)に出演していただき、「はっぴいえんどデビュー40周年記念番組」を行う事に至りました。
このゲストに北中正和さんや小倉エージさんという当時、本当にはっぴいえんど誕生の行程を見ておられた方も候補に考えましたが、僕より、少し年齢の下の萩原健太さんが当時、少年だった目で、どう?はっぴいえんどを見ていたのかという観点と、大滝詠一さんの初インタビューで半日近くインタビューを許された人間、しかも、早川書房をそのインタビュー直後、大滝詠一さんの一言でお辞めになり、音楽評論家になってしまった
はっぴいえんどに人生を翻弄?された萩原さんしかいないのではと、今回お願いしたのでありました
「萩原健太のラジカントロプス2.0」(ラジオ日本)13日深夜0時から。そのままノーカット版がpodcast、インターネットで配信されます
http://www.jorf.co.jp/PROGRAM/radio.php
ナイアガラーでもあり、ベストセラー「日本辺境論」の著者内田樹さんも聞いてくださるとのこと。お約束通りやっとオンエア致します