昨日の大滝詠一さんお別れ会の弔辞 松本隆さんの弔辞ノーカット版(松本隆さんのをシェアさせていただきました)
松本さんがあの静かなお声で、この弔辞を読んでおられるのを聞きながら、僕は大滝さんと、松本隆さんや細野晴臣さんや鈴木茂さん以上の関係でもないのに、大滝さんの部屋にいる大滝さんと松本さんの姿を傍観者として、同じ部屋で、彼らの青春を膝を抱えながら見ているような不思議な感覚に襲われました。
自分とは距離があり、身内でもない人の死に会い、その友達の弔辞を聞いて目頭が熱くなり、思わず、「う」と声が出そうになったのは初めての経験です。
歌は作り手の青春を勝手に聞き手が、自分の青春がごとく、共有することです。
弔辞を聞きながら、松本隆さんは作詞家である前に生来、詩人なのだと改めて思いました。
誤解を恐れずに言うと、作詞家松本さん以前以降の作詞家で、ここまで文学性を抱え込んで生きて来た作詞家は存在しないと思います。
松本さんが詞を書く度にオスカー・ワイルドの短編小説『幸福な王子』の王子の像のように、ツバメが松本さんの肉体から言葉をはぎ取って行き、肉体が衰弱して行くような気がするのです
この弔辞は詩人の詩です。
松本 隆
3/21のお別れ会で読んだ、弔辞の完璧バージョンです。
新聞などに聞き書きで転載されましたが、
発してない言葉がはいってたり、勝手に単語をカットしたりと不正確なので。これが元の原稿です。
「弔辞」
今日、ほんものの十二月の旅人になってしまった君を見送ってきました。
ぼくと細野さんと茂の三人で棺を支えて。
持ち方が緩いとか甘いなとか、ニヤッとしながら叱らないでください。
眠るような顔のそばに花を置きながら、
ぼくの言葉と君の旋律は、こうして毛細血管でつながってると思いました。
だから片方が肉体を失えば、残された方は心臓を素手でもぎ取られた気がします。
1969年雨の夜、ぼくは初めて君の部屋を訪ねた。
六本木通りでタクシーに手を上げながら、
濡れた路面が鏡のように映す街の灯に見とれていた。
布団と炬燵しかない部屋に寝転んで、
来る途中、見てきた光景をぼくは紙に書いた。
君は時々、ギターを弾きながら、漫画を読んでいたが、
詞を二つ書き上げる時分には、うとうと眠ってた。
炬燵の上に、書き上げたばかりの詞を置いて、
ぼくは帰った。
「曲がついたよ」と君が言うので、
西麻布のぼくの部屋に楽器を抱えて四人集まった。
聴きながら、ぼくは「あ、できた」と思った。
それが「春よ来い」と、「十二月の雨の日」である。
北へ還る十二月の旅人よ。ぼくらが灰になって消滅しても、残した作品たちは永遠に不死だね。
なぜ謎のように「十二月」という単語が詩の中にでてくるのか、やっとわかったよ。
苦く美しい青春をありがとう。