「月夜の森の梟」小池真理子さんのエッセイ。 もう、何十年も前に軽井沢に作家の藤田宜永さんと作家の小池真理子さんご夫婦の自宅を取材でお邪魔した。

 



小池さんが先に直木賞を受賞し、夫の藤田さんはまだ、直木賞を取っていなかった。
とても、微妙な関係性だったと思う。
その後、何年かして藤田さんも直木賞を受賞。
小池さんは 熱い藤田さんと比べて、とてもクールな印象の方に思えました。
しかし、このエッセイを読むと、小池さんの印象が180度変わります。

「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」(「哀しみがたまる場所」)喪失エッセイの傑作、52編。

◯本文より
あと何日生きられるんだろう、と夫がふいに沈黙を破って言った。/「……もう手だてがなくなっちゃったな」/私は黙っていた。黙ったまま、目をふせて、湯気のたつカップラーメンをすすり続けた。/この人はもうじき死ぬんだ、もう助からないんだ、と思うと、気が狂いそうだった。(「あの日のカップラーメン」)
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余命を意識し始めた夫は、毎日、惜しむように外の風景を眺め、愛でていた。野鳥の鳴き声に耳をすませ、庭に咲く季節の山野草スマートフォンのカメラで撮影し続けた。/彼は言った。こういうものとの別れが、一番つらい、と。(「バーチャルな死、現実の死」)
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たかがパンツのゴム一本、どうしてすぐにつけ替えてやれなかったのだろう、と思う。どれほど煩わしくても、どんな忙しい時でも、三十分もあればできたはずだった。/家族や伴侶を失った世界中の誰もが、様々な小さなことで、例外なく悔やんでいる。同様に私も悔やむ。(「悔やむ」)