ギャル曽根さんと「坂の上の雲」



 ギャル曽根さんに代表されるような大食いチャンピオンの健康を僕は心配している。彼らの親御さんもそうだと思う。暴飲暴食であるから、彼らが長生きできるかも心配である。それとも、実家でもあの調子で食べさせてもらっていたのか?食費が浮いて、むしろ、応援しているのか?
 そんなことより、彼らの「食べることに対するモチベーション」って一体なんなのだろうと思っている。
 過食症という病があるが、そういう心の病を抱えているのか?どうも、そうは見えないのですが。
 ギャル曽根より、ずっと前にも偉大な歴史的人物。
それも、今話題になっている司馬遼太郎さんの代表的長編小説「坂の上の雲」を原作としたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」(平成21年(2009年)から3年にわたって放送します。)に出てくる重要な人物正岡子規である。
 関川夏央さんのご本を読んでいて、明治の時代にも、こんな人がいたんだと思った。
その本によると、「子規は二十世紀の第二年目に三十五歳で死ぬのですが、『病淋六尺』 によって寝たきりだった
死ぬ一年ぐらい前の献立を調べてみたところ、ものすごい量を食べています。
 たとえば明治三十四年九月二十四日の献立。
 朝は、佃煮と漬物で御飯三杯、それにココア入り牛乳と餅菓子とせんべいです。昼は、粥三椀とさしみ、漬物、果物にお萩十二個。昼からさしみというのほ、われわれの感覚としてはちょっとどうかと思いますけれど、子規は全然気にしていない。おやつには、牛乳、餅菓子、菓子パソ、牡丹餅、せんべいにお茶を飲む。夕食は、粥を三椀食べて、それから魚の照り焼きと煮豆と果物。これがだいたい彼の一日の食事ですが、以前、栄養学の人と計算してみたら三千八百キロカロリーありました。今日本の普通の若い男子の摂取カロリーが二千五百ぐらいでしょうか。これだけ食べても過剰摂取にならないのは、食べた後で激しい腹痛に見舞われて吐き戻したり、あるいは子規が自分で書いているように「水射」排泄されてしまうからです。しかし鰯を18匹も食べた夕飯に。
明日死ぬかも知れないのに、痛がりながらも食べ続けたのは、病気によって満たされなくなった表現欲が食欲に転化したということではないかと思います。何かを喋ったり書いたりしていなければ生きている気がしない子規が、相当程度にそれを制限されたとなると、その情動はどこかへ向かわなければならなかった。それが食欲だったのではないか。現代とは違って、食うこと自体が切実な主題であった明治三十年代に子規はこれだけの質量を、親の仇のように食べたわけです。それはまさに命がけの暴食でありました。」
 子規は病が創作の道をふさぐことによって、「大食」へのモチベーションとなったという関川さんの解釈である。
 ギャル曽根さんに「大食」へのモチベーションは何か?そして、排便の量を(笑)聞いてみたい
僕は本当に彼女のことを心配しているのか?