ドストエフスキーで亀田大毅さんの騒動を考えてみる

昨日、NHKの特集で「ドストエフスキーがまた、売れている」という興味深い特集を見た。亀山郁夫さんという東京外語大学の学長の新訳が40万部も売れているというのだ。それまで、原卓也さんの訳で読まれた作家であるが、亀山郁夫さんが訳者でありながら、とても深い作品への考察をしているのが興味深かった。この傾向は日本だけではなく、ロシアでも売れている。
 ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」は子供の父殺しの話である。直情的な性格の長男ドミートリイは父に多いに反発する。100年前の小説である。
 息子が父に反発するのは永遠のテーマであり、子供が大人になっていくための「通過儀礼」である。そして、成長していく。
 映画「エデンの東」や 卑近な例ですが、「華麗なる一族」を見ていても父との対立は男の子のフツーの行動であります。
 今回の亀田大毅さんの騒動はこの男の子の「通過儀礼」の欠如であるのではないでしょうか?お父さんの恐怖政治の中で育っている大毅さんは、そこから奪還できないでいるような気がします。父から離れることは精神的支柱が激しく揺らぐ恐怖感があるのではないでしょうか。
 大毅さんを内藤さんの宮田事務所に所属であずかってあげてはどうでしょうか。内藤さんはとてもいい指導者であり、父であり、兄になってくれそうな気がします。
 内藤さんを見て「大人っていいもんだなあ」と思いました。