河野太郎デジタル相は25日の閣議後記者会見で、23日に閉幕した第105回全国高校野球選手権記念大会について、「『熱中症で健康管理に気をつけてください』と申し上げている時に、スポーツで鍛えているとはいえ、真夏の一番暑い盛りに(試合をするのは)どうなんだろう」と述べ、試合時間の設定に疑問を呈した。」ナイターでもいいのでは?というひとつの案を河野大臣は提案しました
以前から巷に甲子園大会の時期を秋にずらしては見てはどうかという意見が出てきていました。
今から述べることはまったく、無責任な傍観者としてのボクのこれまでの感想です
<夏の甲子園>というのは野球少年だったボクには
<劇場型高校野球>という<滅びの美学>として悲劇を観劇し、感動していました
夏の痛いくらい眩しい太陽は舞台の強力な照明。
雨天の雨、ぬかるんだグランドの砂は舞台美術。
歓声と吹奏楽部の演奏は舞台音響。
ボクは子供の頃 函館に住んでいましたので、東北、北海道の球児たちが灼熱の甲子園で戦う姿はあまりのハンデゆえ悲劇そのものとして観覧していました。
北国の球児たちは悲劇の主人公でした。
甲子園の舞台は全国の強豪校より彼らのためにあるのだといつも思っていました。
当時は北国チームは屋内練習場を持たず(今はどのくら完備しているかわかりませんが)、グランドに降り積もった雪の雪かきをしてからのノック練習。
かじかんだ手足。
硬球のボールが肌に当たると温暖な地域より3倍は痛みを感じます。
いざ、出陣。甲子園の近くの近くの旅館は今のような
エアコンはなく、雑魚寝して暑苦しい夜は北国の球児たちは睡眠不足で試合にのぞみます
「白河の関越え」という目標を夢見て、彼らは散っていきます
夏の甲子園の高校野球はつかこうへいさんの芝居のようにいつも見ていました
そんな負の要素が消えるとこんな千両芝居が見られなくなることになるのは惜しい気もいたします
しかし、現実的に考えると例えば、9月を夏の甲子園大会にするというのもいいのではないでしょうか
※高校野球はナイターは似合わない。せめて日中にみたいものです