「たかがバナナされどバナナ」
携帯を見ながら歩く人に対して、目をしかめている自分だが、
<活字中毒者>の自分は本を読みながら、あたかも二宮金次郎のように、
歩く習性がある。
で、今日は「種痘という“衛生”―近世日本における予防接種の歴史」 香西 豊子【著】をポストイットを貼り付けつつ、読みながら、スーパーのバナナの
チョイスをしていた。
物価高だが、安値安定のバナナも微妙に値が上がっている。
フィリピンバナナは相変わらず、安いがなんかのニュース番組で良からぬ
情報を得たので、エクアドル産バナナの方を一房買った。
レジを済ませ、10分ほど、歩いていて気づいた。
本がない。
あわてて、食料品のレジに戻るが、ここには届いてないと言う。
そのあと、移動した日常品のレジでもないといわれ、「サービスカウンターに行ってください」と言われたが、10分しかたってのにサービスカウンターに届いているはずがないと思ってドキドキしてきた。
丹念に長い時間かけて読んできた「種痘という“衛生”―近世日本における予防接種の歴史」。この時間が泡と消える。
ほとんどあきらめ半分でサービスカウンターへ辿り着き、
「すいませんが、
このくらいの本」が届いていませんか?」
「ちょっとお待ちください」
忘れ物BOXのような箱を店員さんが漁り、「これですか?」
そこには白菜のように、本からポストイットが頭を出しているその本があった。
「どこにあったのですか?」
店員さんはメモ用紙を読んだ。
「バナナ売り場のバナナの中です」
「やっぱり」
スーパーの常識的なシステムになっていることなのだろうが、
なにか人情にふれたような気持ちになり、その場を去って行ったのでした。