死んでほしくない人

 無常だと思います。ずっと,待ってました。僕はテレビ東京の「竹山先生」をやっておりました。竹山くんをキャスティングしたのは僕です。二年前、渋谷のラママで、初めて、カンニングを見たとき、その崖っぷち芸人のすごさに感動したのものでした。早速、雑誌のコラムでエールを送りました。
 ここ二年、カンニングのここマネージャー印牧さんに「中島君は?」「中島君の見舞いに行っていいでしょうか?」と、ちょっとシツコイくらい聞いていました。それは、もちろん、復帰して、番組に参加してもらいたいと願っていたからであります。
 今年は僕の関係では朝生のプロデューサー日下さん、ベーシスト青木、そして、カンニング中島と「死んでほしくない人」が死んで生きます。こんなことをいうのは不謹慎ですが、人間として最低で、死んでもらいたい人は他にいるだろうと。
 死の直後、カンニングが芸能事務所に入るキッカケは中島くんが作ったこと、「笑いの金メダル」で決勝に進出したとき、舞台袖で、「もう、出たくない!」とリアクションしよういうアイデアを提案したのは実は中島くんであったこと、竹山くんがラジオで語っているのを聞いて驚きました。
 ちゃんと、コンビとして、中島くんは役目を果たしていたことをあらためて、感じました。
 そして、彼が、田村恵利子の親衛隊隊長だったことも。
そして、芸人になる前に「中島と男二人でディズニーランドへ行った」という話、おもしろいが、やがて哀しい、僕の好きなエピソード。
 竹山くんはポスト武田鉄也さんと、僕はずっと思っております。中島くんの分までがんばってもらいたい