私の履歴書 村井邦彦

父は飛行機の電子部門をつくり、建築家に転じた。母は鈴木三重吉が創刊した「赤い鳥」北千住。担任の女性教師安達先生からバイオリンのけいこを受ける。音楽の目覚めは父のSPレコード。電気蓄音機は父の自作。ヴァンローンの「人間の歴史の物語」暁星で磯部くんとスイングジャーナルを買う。ヌーベルバーグの映画はジャズが流れていてみた。

銀座のヤマハで楽譜を買う。

恋文横丁ジャズ喫茶「デュエット」でレコードを聞く

暁星 チェットベーカー中村吉右衛門とその兄とバンド。

八代目桂文楽太鼓持ち」がタモリスネークマンショーレコードに。

北鎌倉の彼の家で大学受験の勉強 歌舞伎をやめるか悩んでいた

チャーリーパーカー ポールデスモンドのアルトサックスが自分のアイドル

中古のアルトサックスを買い、吉本栄さんにレッスンに。

暁星高校の生徒だったが、ジュニアライトに参加していた。

母の実家のアップライトを譲り受け、「1001」や銀座ヤマハのリチャードロジャースのソングブック

これが作曲の教科書となった

慶応のライトミュージックソサエティ ピアノは4年の大野雄二さんがレギューラーで忙しい時、

自分が担当。大野さんにジャズのコードを習った。ニューグランドでダンパの演奏。3年でコンサートマスターに。先輩のを写譜した。ハリージェームス楽団と共演。67年の卒業コンサートに曲を初めて書いた。