横浜馬車道に行く

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横浜馬車道に行く。
道を青空が割って入る。
道幅の向かい合った建物は言ってみれば、絵画の額の役割だ。
明治ちょい前からここは客が肩を並べてすわる二頭立ての異人馬車が走行していて、車両はゴムタイヤではなく、鉄製だったそうだ。
 最初は外国人が経営。のちに日本人経営が主流となる。
横浜が文明開化で賑わっていた頃、福岡藩士の和泉要助は異人馬車を見て、人力車を発想。東京で許可を得て、横浜に出店。特に外国人に大人気になる。
 まさに逆転の発想。
 当時は人力車には遊女、役者などの派手な絵が書かれていたが、お上によって絵を消させた上、男女二人が乗るような二人乗り人力車は公序良俗に反すると禁止されたという。