小林信彦 山田太一 それぞれの八月15日

1945年。こんな時でも夏休みはあった。

作家小林信彦(1932年生まれ)は疎開先にいた。

8月8日広島の敵新型爆弾の記事は驚くほど小さかった。

いよいよ終末が来たと実感した。

新型爆弾について「朝日新聞」特報(号外)には8月11日「横穴式防空壕が有効 初期防火 火傷に注意」と。

恐ろしいことに中学生の小林少年と国民の大多数は初期防火などを信じていた。

原子爆弾の文字がはっきり出るのは8月13日。それもスウェーデンの新聞が原子爆弾を非難したからだ。

長崎原爆の記事はわずか7行。相変わらず新型爆弾と明記されていた

 

一方、8月15日小学校5年の脚本家山田太一少年は敗戦を迎えました。

戦争の末期の寒いある日、担任の科学の先生が特殊爆弾(実は原子爆弾)の原理を教えてくれました

それが<日本の学者>によって完成に近づいている。

その爆弾完成の暁には「ワシントンに一発、ニューヨークに一発落とせば、日本の勝利で戦争は終わってしまう。」と聞いて、山田少年たちは歓喜したそうです。

事実はその反対になったわけです。

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