歌舞音曲の書き手

  12月23日かもめ亭(文化放送内のホール)を観賞。柳家 喬太郎さんの吉田御殿という艶話を見られたのが収穫。なかなか、こういう艶っぽい艶笑噺は見る機会がない。好色の女を演じる静かな演技がとても柳家 喬太郎さんが御上手で、描く女を見ているとちょっと怪談を聞いているようで背筋が寒くなった。
 円朝鰍沢をやった時に、その寒さの描写のうまさで、お客が思わず襟を立てたという有名な逸話があるが、それに似た気分を味わった。
 柳家 喬太郎さんは滑稽噺を得意とするイメージが強いが、意外な一面を見た。
 何しろ、艶話なので、途中で柳家 喬太郎さんが「いんですよ、帰って」とお客に確認する演出もいい。また、いつも、ここまで御見せしないと断っておいて、突然、男女がからむシーンを高座でのたうち回ってやるのもおかしかった。
 うまい噺家、おもしろい噺家はいるが、おもしろくて巧い噺家はそうはいない。
柳家 喬太郎さんはまさにそれだ。
 そして、マキタスポーツの「尾崎豊 15の夜」の逆転の発想のバラード 「尾崎豊 15の夜スピンオフバージョン」が素晴らしかった。
 20年以上前、渋谷ラママ新人コント大会で女子高生という現役女子高生漫才コンビが大人気だった。僕もこのコンビに作家として加担していたが、その時の当たりネタが「尾崎〜〜〜〜〜〜!」だった。漫才コンビの一人が実際、尾崎ファンなのであるが、ファンとしても、ちょっと行き過ぎた尾崎のクサいスタイルに対して、「尾崎〜〜〜〜〜〜!」と言って苦言を呈すというギャグ。これが時代が、尾崎豊の時代だったこともあり、やたら受けた。
 そして、マキタスポーツの「尾崎豊 15の夜 スピンオフバージョン」は尾崎豊の「15の夜」を学校の用務員のおじさんが退職金でやっと買ったバイクを15の夜の主人公の少年に盗まれてしまうという逆の立場から描いている。
 事件や事象は表もあれば、裏もあるという正しいモノの見方を示唆するジャーナリスティック?(笑)な歌でとても感心した。
 ご招待いただいた松本尚久くんに彼が編集した「落語を聴かなくて人生は生きられる」(ちくま文庫)をいただき、チラチラ見ているが、これが僕好みの選者で、ちょっと読み出したら止まらなくなった。三國一朗が書いた立川談志とか、他に書き手が池内紀とか、田村隆一とか 
 落語や音楽や歌舞音曲はなんでも、ただたくさん見た人が書き手としてプロの資格があるのではない。数を見るということであれば、どのジャンルでも素人にはかなわない。
 物量としてたくさん、見て、読むのは当たり前だが、何を嗅ぎ付けるか、どう読み解くかというのがプロの書き手の条件である。
 この本ラインナップされた書き手はそういう条件を満たした人で、それを選択した松本尚久くんの目はなかなか確かだ