小沢昭一的こころの裏側 放送作家完全原稿 我らの時代

 先日、北鎌倉の円覚寺佛日庵で北鎌倉お坊さんアカデミーのイベントの一環で、ブルースハープの奏者もお呼びしてライブをやった時、僕が司会だった。
 

ご高齢の方も多かったので、「皆さん、ブルースハープってハーモニカですが、ハーモニカが欲しかったんだよ〜っていう小沢昭一じゃないですからね」とギャグを言って受けた。このギャグももう通用しなくなっちゃうと思うとさびしい。知っている方も多いと思いますが「小沢昭一的こころ」(TBSラジオ)という番組がある 小沢さんが亡くなってしまったので正確にはあったになったのか?この初代作家が津瀬宏さんという方。実はこの放送は完全原稿だ。(今もおそらくそうだと思う)昔のラジオは完全原稿って多かった。僕も稚拙な原稿だったが、文化放送小倉智昭さんの朝の番組のため400字で40枚くらい書いていた。(小倉さんはそれを60枚くらいに膨らませて話すからスゴかった)1990年以降に放送作家になった人はあまりラジオの完全原稿って経験していないし、テレビでコント台本を書いたことがない人も多いと思う(実際、書いてもらうと書けない人がほとんどみたいだ)僕らの頃はコントを書けないと放送作家にあらずと!と、いうくらいの時代だった。 今は慣習になっているが、タレントさんや芸人さんに対して台本を渡してアドリブでよろしく!とは僕らの世代までは絶対に許しがたいと思う作家の世代である。芸人に「台本を全然変えて適当にアドリブでいいですから!」と僕の前で言った演出家を芸人の前で僕は蹴り&「このままやればいんだよ!」と恫喝したことがあった。芸人さんには可哀相なことをしてしまった。その演出家はその後、すぐに見なくなった   僕が70年代に放送作家になりたての頃、僕より少し年下の作家で清水東くんと知り合った。彼のお父さんが「小沢昭一的こころ」の台本を書いておられた津瀬宏さんだと聴いて、放送作家にも二世というのがあるのかと、驚いた。そのあと、高田文夫さんの師匠塚田茂さんの息子さんで放送作家の矢頭浩くんにも会った。矢頭くんとは僕らが大学生の頃、フジテレビのものまね番組で素人の出演者としてよく競演する顔見知りだった 彼は石立鉄男の物まねがうまくて、恐らく、日本で一番最初に「チー坊!」という物まねをやった人だ。歌舞伎俳優の二世ではないが、先輩作家がお父さんをリスベクトしているあまり、新人作家の息子の作家に妙に気を使っていたのがおかしかった
 僕は若い頃、夕方は昼間が終わってしまい、なんとなく気分が落ち込むので好きでなかった。「小沢昭一的こころ」は夕方5時以降にオンエアしていたので、夕方の合図みたいで、内容はともかく、実は聞くのを敬遠していた。
 1973年スタートの長寿番組である
 何人か作家さんが変わって書き続けて来た番組である。たかが10分の番組だが月曜日から金曜日のベルト番組である。相当量の原稿を書いているはず。小沢昭一さんのことをねぎらうと共に、書き続けた作家さん達をねぎらいたいのは書き手の大変さを僕も仲間として少しはわかるからである
 ちなみに「小沢昭一的こころ」の初代作家の津瀬宏さんの最後は自宅の階段から落ちて亡くなったと聞いている 伝説の芸人みたいな最後である
 小沢昭一の小沢昭一的こころの音源http://www.youtube.com/watch?v=aLeN4KZCYow