ナンシー関さんの予感

ナンシー関展が行われました。
時間がなく残念ながら、行けなかった。
彼女と知り合ったのは1987年。
今はもうない青山の246倶楽部。
新人コント大会のスペシャルバージョンを僕がプロデュースし、いつも渋谷の地下の
会場を離れ、たまにはメインストリートの場所でやってみようと思ったからだ。
そのとき、246倶楽部の芳根さんから紹介してもらったのがナンシー関さん。
僕の卒業した大学のまだ女子大生で、控え室で消しゴムを彫っていた。
ざわついているのに、ニコニコして彫り続けていた。
猫背で
とっても愛らしいお嬢さんだった。
ハンコを見せてもらって、即、これからやるライブの司会の渡辺正行くんの顔を
彫ってもらった。オープニングにナベちゃんの顔がど〜〜んと映し出される
会場が思ったとおり、沸いた
ライブを終えて、どうしても才能のある彼女を紹介したくて、舞台に上げて、ナベちゃんに
紹介してもらった。
やはり、才能はとんでもなかった。
消しゴム職人の技はもちろん、その文章は80年代を代表する文章家であった。
多くの文筆家に彼女の文体と批評眼は影響を与え、今も与え続けている。
彼女がなくなって以来、元フジテレビの横澤彪さんの「テレビ批評」以外、
「テレビ批評」というものをほとんど見なくなった。
読み物として、ほとんどがつまらないか、ナンシー関さんの亜流でしかないからである。
彼女の著書「秘宝耳」を読み返していたら、木村拓也くんに関するこんな一文が
それは木村くんが同じ歳のいろんな職業の人と次々に対談する企画。
政治家秘書との対談を見て
「・・・最後のほうに出た政治家秘書が「選挙に出れば絶対当選する。総理大臣になれる」と言ってて(で、出てくださいよとも言ってた。こんな秘書もなあ。政治家目指してるんだろうか)、木村拓哉は笑いとばして否定してるんだけど、なぜかあるな」と感じられたのが不気味。」
この予感!
現在、木村くんのドラマの「change」当たっている
荒唐無稽の話しと高をくくっていたが、これが評判がいい。
地震の被災地に赴いて、心のないかの国の首相の言葉より、今、木村拓也くんが
現地に赴いた方がどれだけ、被災地の人が勇気付けられることかと、本当に思ってしまう。