大人の対応

 
江川卓さんが六大学で活躍していた頃、僕は神宮に100%試合を見に行きました
私設応援旗まで作って。
彼が投げる試合は絶対勝つ。そして、彼が打つ。
絶対、嫌な思いをしないで試合後、千駄ヶ谷を歩けました。
江川さんが巨人に入り、引退して、ご一緒に仕事をさせてもらいました。
あまりにファンだったので、気持ち悪いと思われるので大学時代の話は
封印しました。
 1978年のプロ野球・ドラフト会議で起きた「空白の一日」の騒動をめぐり、当事者だった江川卓氏(52)と小林繁氏(54)が、28年ぶりに“お酒”で和解した。球場などで顔を合わせても会話を交わすことのなかった因縁の2人が「黄桜」のCMで初共演。
「彼は、会う前から予想していた通りの人でした。ストレートには心情を言えない人で、僕と似ているなと思いました。「エライ目にあったなぁ」「大人に振り回されてかわいそうになぁ」と僕は思っていましたから。本音でしゃべったので、今まで誰にも見せなかった内面が見えるのではないでしょうか。今でも彼は苦しいでしょうし、お互いに苦しいものをこれからも持っていく。一生なくなることはないでしょう。それでも、CMに出演してよかったと思いました。私たちを知っているお父さん世代が、野球への興味が薄らいできた子供たちに野球の話ができるきっかけになればいいと思っています。
」と小林選手。
「今まで二人で会う機会はありませんでした。 
お会いするまで僕が原因を作ったので申し訳なく思っていましたが、収録中に「江川が(巨人に)入るなら、出るのは俺しかいないと思った。」という言葉を聞き、ほっとしました。このCMの共演で“お話できる”場を設けていただけたことに感謝しています。 
‘時’は、いろいろなことを起こすし、‘流れ’は一人では止められないことも多いと思います。撮影で言葉を交わし、‘時’によって作られ、引きずっていた想いが少し軽くなったように感じました。 
当時を思い返すと、私たちも野球選手としてお互いにファンを引き付けた時代がありました。クライマックスシリーズ日本シリーズに出場するチーム、選手の方々には、ファンの記憶に残る試合を期待しています。そして野球ファンの皆さんには、観戦の合間にこのCMを見ていただいて、「こういうこともあったな」と、懐かしく思っていただければ幸いです。」と江川さん。
 
 大人とはこういうものだと思いました。
これが大人の対応というものです。いい男同士の対応です
CMは広告代理店幹部と黄桜の松本真治社長が酒席で盛り上がり、企画が決まった。担当者が「ダメもと」で江川氏に打診したところ、「小林さんがOKなら」と予想外の返事があり、とんとん拍子に話が進んだという
これを仕掛けた博報堂の方と松本真治社長の感覚が「凄い」と思います。
これは現代の大岡政談。
こういう仕切り屋がのぞまれています。