ベストセラー考古学の小さな旅




「さらば国分寺書店のオババ 」とは椎名誠さんのスーパーエッセイ。
この作品で、椎名さんは嵐山光三郎さんらの文体とともに昭和軽薄体と呼ばれ、それ以来、トップランナーを走っています。
今日は「さらば国分寺書店のオババ 」の舞台となった本屋はまだあるのか?を
突き止めに国分寺に行ってまいりました。ま、それだけが目的ではないのすが。
20年前に、僕のプロデュースで、コント赤信号渡辺正行くんとウッチャンナンチャン
ピンクの電話ダチョウ倶楽部ジャドーズ(現ダンス☆マン)を引き連れてライブをやって以来の国分寺。今考えると、豪華なメンバーです。しかも、渡辺くんのコーラ、一気飲みもやりました。あのとき、国分寺で見た人は得でした。
 それで、結論。
国分寺南口にあった「さらば国分寺書店のオババ 」のモデルのその本屋さんはなくなっていました。報告まで。地元の人に取材して、断言されたのだから間違いないと思います(笑)
7月20日、朝九時より追取材。
南口に喫茶店コロラド発見。
これが70年代に一斉を風靡した喫茶チェーン店。
まだ、国分寺にしっかり棲息していたのがうれしい。
正しい喫茶チェーン店である。
椎名誠さんの文体真似て)(笑)
「さらば国分寺書店のオババ 」の舞台になった古本屋の名前は「石原書店」であり、津田さんと青山さんという
おばさんコンビが営業していた。早朝からの取材で地元の人に確かめた。
「お二人ともインテリでした。うちの主人が通っていて、あなたも本屋を
始めなさいといわれて、ここで本屋始めました」と、南口すぐの三石堂書店の
奥さんが優しく教えてくださった。
ちなみにこの三石堂書店、朝七時から営業している本好きには
ありがたい書店。
上京して住んだのが中央線沿線。阿佐ヶ谷、吉祥寺、また
阿佐ヶ谷。ここできた国分寺、小金井、恋ヶ窪の地元の友。
当時のビンボー地方出身者学生の 典型の僕でありましたが、
僕に中央線沿線は優しかったのです