知の巨人 児玉清さんの胸をかりて激トーク

昨日、都内某ホテルで名優、そして、読書家、「アタック25」でもお馴染み児玉清さんとお会いした。

僕は本題の仕事の交渉ごとを無関係に不躾に聞きたいことを児玉さんに機関銃のように質問しました。これはもうファンの一番悪いパターン、しかも、打ち合わせをさておいて。
「児玉さん、黒澤明さんを殴ろうと思ったんですよね?」
黒澤明さんの「悪いやつほどよく眠る」では児玉さん、若くてギラギラしていましたよね?」
「脚本家の井出俊郎さんにいきなり叱られたそうですね?」
黒澤明さん「隠し砦の三悪人」では結局、児玉さんの影しか映っていないんですよね?」
「トムクラッシーなどの小説は何時間で読み終えられるのですか?」
「ドイツの小説は原書でお読みになる?え、英語も!!!翻訳より先に全部読んでしまう?!!日本で出版される5年前に!!!」
「写真家土門拳さんは人は後姿、まなじり、声でわかると児玉さんは書いてました。ほんと、そうですか?」
こんな僕の自分勝手な質問に誠実に熱く、ダンディに答えてくださった。60分近く、本と映画の話で、時間はいつの間にか経過していた。
そして、本題の打ち合わせの僕のプレゼンは5分。
そして、また、児玉さんの本についての質問を30分近くノンストップ。
 いやあ、デュマ、トーマスマン、ツバイク・・・・児玉さんの口から出るは出るは、この方は「動く国会図書館」であり、知の巨人であることを確認。イメージどおりの方。
 目立たないことを信条に仕事していらしたこと。
「アタック25」初めはスタッフに客いじりをしてくださいといわれたが、出来なくてしかられたこと。今でも、出来ないこと。「アタック25」は毎回、反省ばかりで自分の思い通りにできないので、それが楽しく、発見があること。この番組にはとても感謝していらっしゃること。
 「役者は向いてない。でも、毎回、別の人格を演じられるのでこんな楽しい仕事はない。この歳までできる仕事でありがたい」
 目立たないことが信条ではあるが、その間、熱血青年児玉さんはいろいろぶつかり、傷ついて傷ついてきた。そして、結局、「目立たない人生」を歩まざるおえなくなった。
とにかく、児玉さんにもっと本の話を聞きたい。私的に、本話の第二回戦をやってくださることを約束していただき、本好きの僕としても、児玉さんの前では赤子そのものだった。
 最後にこわごわ、博多華丸についてはどう思っているのかを聞いてみた。
児玉さんは怒っていないこと、一度だけ、「アタック25」のゲストに彼らが出たことが判明。しかし、競演のオファーが多くて困っているといらっしゃる。
実は彼らが一昨年、僕と渡辺正行くんが長年やっているお笑いライブ「新人コント大会」(渋谷ラ・ママ)に彼らが九州から出てきて初めてネタをやり、それをどんどん、押していきなさいと僕はアドバイスしたからだった。売れると思ったから。彼らは児玉さんに助けられた。
 最近、高齢の大先輩と仕事をするこが多いがとても楽しく、気が楽だ。若年層より「理にかなった」ことしかおっしゃらないからだ。年の功だ
 ちなみに「笑点」は1965年から続いてるが、「アタック25」は1975年から続いている。の構成作家の方は堤章三さん。立ち上げた方。東大出である。放送作家のバラエティの世界に東大出は今、ほとんどいなが、昔はいた。「早慶戦」などで有名な漫才作家秋田実さんは東大出。僕も同じ放送作家として、この長寿番組に永久就職させていただきたいものだ。
堤章三(つつみ しょうぞう 1922年3月11日 - )は、大阪府出身の放送作家。芦屋市育ち。東京大学心理学科卒。


[編集] 略歴
1948年 - 梅田劇場舞台監督に。
1951年 - 毎日放送へ入社。
1958年 - 広告代理店の萬年社へ入社・移籍
1961年 - 萬年社退社、フリーとなり放送作家となる。
1963年 - アップダウンクイズの構成に。
1975年 - パネルクイズアタック25の構成に。
1993年 - パネルクイズアタック25の構成から監修に移行。

[編集] 担当番組(過去に担当したのも含む)
アップダウンクイズ』(毎日放送製作・日本教育テレビ系列→TBS系列)では1963年の放送開始から22年にわたり構成を務めた事で知られている。
『がっちり買いまショウ』(毎日放送製作、構成)
ヤングおー!おー!』(毎日放送製作、構成)
パネルクイズアタック25』(朝日放送製作・テレビ朝日系列。構成を番組開始から18年間務め、1993年より監修を務めている。2005年現在、構成を上方演芸放送作家高見孔二が務めている)
 夜は某テレビ局チーフPさんと永遠、大映時代劇映画について、4時間半、飲みながらトーク