80年代の宮本常一の田中康夫さん

今更ながら、「なんとなくクリスタル」を読み返しています。
田中康夫さんの出現は当時、文学界にとって一大事件でありました。
当時、彼の出現を手放しで喜べない空気が文壇、そして、古風な読書家の僕のような者が多くいました。
自分は強烈に否定的に見ていたことを思い出します。なんと、空っぽな小説なんだろう?なんと、注の多いことか!
年寄りが歴史を知らない若者をたしなめるように、田中さんはあるクラス?の若者の実態を細かく描写し、現代を認識していない年寄り文壇人を小バカにして、反逆しているようにも見えました。
僕自身、そのクラス(階級?)を遠くから羨望と共に眺めていた人間なので、田中さんに対して、「内側の人間」に対する嫉妬心もあったことは否めません。
しかし、東北大学医学部を現役で入った理系男子の親友から、「田中康夫の才能」を押し付けられました。彼は理系にも関わらず、文系の人以上の文学の読書であり、その目線は信用していたので、「ムムム!」と思いました
しばらく経ってから、僕は作家田中康夫さんの熱心な読書家になっていました。それは今でも、続いています。
当時、文壇で強く、推していたのは意外にも、文芸評論家の江藤淳さんだと思います。他には皆無だったと記憶しています。「夏目漱石論」で、早熟なデビューした江藤さんの押しも僕にとっては、田中さんの読書になる後押しとなりました。
詳細で、女性的な視点は(ご本人は男おばさんと言ってますが)それまでの作家にはないものでありました。
小説家と、デビューしたにも関わらず、「ファディッシュ考現学」からのジャーナリスティックな作家の目線は目を見張りました。
田中康夫さんの作家活動のお陰で、「お役所問題」にどれだけ、市民が関心を持ち、風穴を開けたかわかりません。新聞、雑誌記者以上の功績を挙げ、その活動は「大宅壮一賞」ものだと思います
田中さんが常に言ってこられた「サービスとは何か?」であります。そして、ついには政治家まで登りつめました
石原慎太郎さんを、推した見識者。田中康夫さんを推した江藤淳さん。小説家としての作家性の遠くに、もうひとつの可能性をもし、透視して見ていたとしたら、卓見だと思います。
奇しくも、石原さんも田中さんも一橋大学という共通点があるから不思議です。
「なんとなくクリスタル」を読み返し、これは一級のAOR紹介本であると、音楽本としての位置づけもあると、思いました。
田中康夫さんの「音楽的な趣味の良さ」はずば抜けたものがあります。彼の「ぼくだけの東京ドライブ 」というエッセイを読むとさらに、そのことは痛感できます。「ぼくだけの東京ドライブ 」は80年代の洋楽の案内本であり、「忘れられた日本人」の著者80年代の宮本常一ではないか?!足を車に変えてまわるフィールドワーク!。「ぼくだけの東京ドライブ 」は東京の地理学、民俗学的名著であります。音楽雑誌アドリブに是非とも、定期寄稿していただきたいものだと思います