コーンちゃん・とんねるず・僕のディスコの青春

 昨夜、SONY(家電から映画、音楽まで)の全ての宣伝統括の電通の吉崎くんと長話。
 彼は電通井口氏と共にテレビ東京浅ヤン」の担当。あのケミストリーなどの宣伝戦略を担当した人。パワフル、さわやかくんの関西人。
 お互い童顔なので、歳より若く見られ人生。
 エビちゃんブームの話になり、彼女がモデルの「CANCAN]の今は一人勝ちなんだそうで、エビちゃんは男子が結婚したい女性、両親が結婚を許す女性のシンボルということが統計で出ていると吉崎くん。さらに、「今、頭のいい若い女性は結婚して、いいところに収まる願望」が強いというの。つまり、ひとつ時代前の「女性のキャリア志向」がしぼんでいる傾向があるとうのです。まさに先祖がえりの志向なんです。
 また、何度か事務所に連絡を入れていたバブルガムブラザースのコーンちゃんから携帯に電話。ちょっと体調を崩していた彼ですが、完全復帰のうれしい知らせ。
 何しろ、20歳前半に一緒に当時、高校生で礼儀正しい、とんねるず(まだ、この名前はなかった)を連れて、遊んだ仲。六本木のディスコのスクエアビルを全階、顔パスで踊っていた僕とコーンちゃん。純粋にソウルミュージックと踊りが好きで、ナンパもせず、朝には丼飯くって(コーンちゃんが早朝、大メシ食うのは伝説。僕やとんねるずもあきれていた)阿佐ヶ谷(僕の下宿)に帰宅する毎日。何故か、コーンちゃんは高円寺の実家に帰らず、僕の下宿に泊まり、昼に帰宅。または僕がコーンちゃんの実家で泊まるという寂しがりやのおバカのコンビ。
 ショーパブのハシリの新宿の伝説「昆」も素人でありながら、当時、学生の客でありながらファンもついていたコーンちゃんと僕は連夜の物真似のネタ下し。
 最後は必ず、コーンちゃんのジュリーの物真似と僕のルイアームストロングの物真似でエンディング。じっと、それを見ていたとんねるずは何を思っていたのであろうか?その後、オールナイトフジでネタをやっていたとんねるずのパターン(ネタ表をわざと見ながらやる)、これって当時の僕が考えてやっていた演出そのもの。当時、フジテレビでもこの方式で僕がネタをやって「一番チェック」と言って落としていく方法。結構、受けた(笑)ま、ネタの順番を覚えるのが面倒だったので来る紛れの逆転の発想。それが今っぽかったのかも。
 
 80年代はディスコと落語の日々でありやした。都会(まち)っ子の良さを教えてくれたのがコーンちゃん。なんたって気前が良くて、地方出身者のビンボー生活の僕やとんねるずを借金してまでおごってくれてた。浅草の江戸前オヤジとは違う、元不良の高円寺の阿波踊り連のコーンちゃん、これはご意見番としてテレビ的に価値ある存在。さらに、お笑いスター誕生の僕がゴーストライターをやっていた頃のダチの小柳トムも病気から復帰でおめでたい