恋愛指南本の著者は何故、ブサイクマンとブサイクウーマンなのか?

 恋愛指南本が店頭に並ばない日はありません。
次々と出る新刊。こういう僕も大学時代には雑誌「ポパイ」
「ホットドッグ」などの記事で恋愛指南していただきました。
僕らの頃は70年代後半から80年代へ突入というバブル期。
雑誌に「車」「学歴」「ぼっちゃん」などが恋愛対象の条件
キーワードのように書かれ、三畳一間風呂なしの長屋アパート
からスタートした僕は絶望のどん底にそれらの雑誌の指南記事が
陥れてくれました。
 後にそれらがライターと言われるむさ苦しい、とてもモテそうも
ない人々の食い扶持としての原稿だと知り、唖然といたしました。
 さて、恋愛指南本はこれとは性格を異にします。この場合、書き手本人の
過去の改ざん。としか、思えない、ありえないジャックアンドベティのような
恋愛体験を夢想と共に書き綴っているとしか僕には思えてなりません。
 哀しいかな、若いうちは女子の男子への評価基準は「背が高い」「痩せている」「頭がいい」「スポーツ万能」「お育ちがいい」という見た目。これはいたし方ありません。若いってことはそういうことです
 しかし、例えば、恋愛指南本を書いている男子の著書の平均は身長を推すれば、平均身長170センチ以下、デブではないが、小デブ、スポーツ音痴、お育ちはそこそこなのです。
 こんな連中のありもしない恋愛体験を鵜呑みにさせていいのでしょうか?どうして、「カッコつけて過去の青春を改ざん」していくのでしょうか?まるで、松本清張の「0の焦点」の登場人物が元米軍相手の○○○○であった過去を改ざんして生きているストーリーのように。
 ティーンエージャーは本当に悩んでいるのです、恋愛をしたい、モテたい、死ぬ前にキスを一度でもして死にたいと(僕がそうでした(笑))
 恋愛指南本は青春体験が主です。
 恋愛指南本の著書の旧友、家族らに探偵事務所やレポーターの所太郎さんに調査してもらって、本当にそんな恋愛体験があったのか?否か?調査してほしいものです
 中でも、バカらしいと思うのが、雑誌の恋愛特集で「作詞家」「女性脚本家」「女性漫画家」に恋愛指南させる意味です
 例えば、恋愛の歌を作詞家が綴った数だけ恋愛していたら身がもたないでしょう。創造力で書くから、プロなのであります
 しかし、これが結構、したり顔でかまして、恋愛、語っちゃうからおかしいんだなあ。おいおい、よー言うわ!最近、女性脚本家の台頭が目覚ましい。
 と、いいつつ、僕はアンアンの熱心な読者です。
 「な、わけねえだろう!」と、突っ込みどころ満載。
  いわば、「お笑い本」として読んでいるのです。
 「アンアン」は爆笑本です
  アンアンって確信犯かも・・・