中曽根康弘の記憶メモ2

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中曽根と妻蔦子の結婚は終戦の年。
海軍士官の中曽根。父からはいつ命を落とすかもしれないから孫を見たいの望みもあり、
戦争の真っ只中の昭和20年2月11日結婚。
今なら、ハラスメントな話か?、当時は当たり前にこのようなことが、あったことなのかもしれない。(実は中曽根の実弟は特攻隊で死んでいる)
昭和21年香川県警警務課長の中曽根は父親の反対を押し切り、内務省に辞表を出し、
高崎へ戻る。
思いついたように、選挙に出るためだ。
東京においていかれた夫人の元に消息が入ったのは高崎に入ってから一週間もしてから。
「選挙に出るから群馬に来い」と書いてあった。
夫人はのちに、このことを「結婚詐欺」と笑って話していた。
中曽根は初登庁の時、占領されている悲しい現実を国民として、喪に服し、黒の背広に黒ネクタイという喪服で記者の度肝を抜いた。

横道の話だが、中曽根はカバンにいつもハーモニカを入れていた。
ある時、選挙区の家に泊まり、五右衛門風呂に入れてもらい、ハーモニカを吹いていた。
宿のおばさんが薪をくべて、ハーモニカを褒めると、おばさんのリクエストで何曲も歌謡曲
吹いたという。
また、シャンソンの「枯葉」をフランス語で流暢に歌う

中曽根の身長は178㎝。
調べたことはないが、戦後の日本の首相の最長だろうか?
外交において、首相のガタイのデカさは大事なことだと思う、
いきなり、ハッタリとカマシがきく。
初のサミット参加の時、中曽根は記念写真のレーガンの隣に立った。
中曽根いわく「サミットはオリンピックですよ」
外交は一発勝負のオリンピックの意なのであろう