ただの私 (講談社文庫)」 オノ・ヨーコ (


「ただの私 (講談社文庫)」 オノ・ヨーコ (著) 飯村 隆彦 (編集)
これこそ、積(ツ)ん読本の典型本の「ただの私 」(講談社文庫)。ついに読んでしまった。
 そして、これが久々に巡り合ったトンデモ本だった。
 「わたしは美人で頭も悪くないし・・・それがこれだけ悪口を言われてきたのはどういうことだろう」という書き出しで始まる。
66頁までの最初の章のタイトルが「わが愛、わが闘争」とアドルフ・ヒトラーの著書「我が闘争」に引っ掛けたタイトル。
 内容は、最初の夫である現代音楽の旗手一柳慧との結婚生活、そして、ヨーコのファンで家に訪ねてきたトニーを、ヨーコが元気ないという理由で優しい夫一柳慧がヨーコに紹介すると、ヨーコはいつの間にかトニーと結ばれる。しかし、トニーとトニーとの間にできた子供を棄てて、今度はジョンレノンに行き着くまでの話が、自己完全肯定的に語られる。ジョンとポールマッカートニー宅に居候したり、あっちこっちの家に居候する。
 一貫して、なんでわたしはこんなにバッシングされ、ビートルズを解散させてしまった張本人にされるのかと。
 また、ボクには、その芸術性がさっぱりわからない有名人のお尻の写真を撮ったり、全裸ヌード(当時、出現したストリーカーに共感し)、ベッドインなどのオノの芸術活動も紹介されたりもする。
 この章は、まだ、マシである。芸能ニュース的興味本位で読み捨てられるからだ。
 次の「日本男性沈没」からの章からが大変。過激な女性運動家も、ドン引きしてしまいそうな「男性社会」は、悪という例を、あっちこっちの本の呆れるばかりの数の引用で語り続ける。
  対談方式にも、なっているのだが、この聞き手がまるでヨーコの幇間である。
  彼女の音楽家としての経歴を語るくだりで、「オペラを習ったこともありました」「その当時、歌も書いていたんです。その歌というのは私の詩と 音楽は12音楽のような音楽でもって、だから、歌いにくいようなドイツ・リードの形式から、もっと新しくなったような歌ばかりだったんです」(大学時代に学んだ音楽について)「お医者さんは声帯が変わっているから直そうよというのよ・・・」「とってもあの声が好きな人が日本にはいるんですよ(対談相手)」
 この音楽の不可解な素養が「Plastic Ono Band」へと導いたのか?
 「ただの私」というタイトルだが、ある意味、このタイトルは名タイトルで、まさしく「ただの私」の本でありました